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2010年9月 7日 (火)

講演「奈良と堺」について

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大阪堺商工会議所のご一行の皆さんが奈良にこられたのを機会に、奈良国立博物館学芸

部長の西山厚先生のおはなしを聞くことができました。(以下わたしのメモから)

奈良と堺を語る上で、奈良の大仏のことがあげられる。

聖武天皇と堺出身の行基とは、同じ考えであったということが大切です。

聖武天皇が大仏を作った理由は何か?それは聖武天皇自身に聞くことが大事。

「すべての動物、すべての植物がともに栄える世の中を作りたい」

「大きな力で作るな、たくさんの金で作るな」

「一本の草を持ってきた人にも、土を握ってやってきた人にも手伝ってもらおう」と書き残され

ている。

大仏を作ろうとした頃は、雨降らず旱魃、飢饉、飢え、苦しみ、人が亡くなった時代である。

地震、天然痘(九州から流行り、ほとんどの大臣が亡くなった)。・・・・それらはわたし(天皇)

の責任である。それで天皇は苦しんだので、大仏を作ろうとした。

行基(668-749)は、当時の僧は、寺の外で布教をしてはならないという法律に違反した

から何度も弾圧を受けた。行基は橋や道路や池などをここに作ろうと決めると、1000人単

位で多くの人があらわれ、手伝った。一説では、当時の人口500万人のうち260万人の人

が手伝ったということです。

ということで、そういう行基さんに聖武天皇は大仏建立を依頼し、いっしょになって同じような

考えで作ったという点が、大事であり、そのことは奈良と堺のつながりを考える上で大切であ

る。行基さんは大仏の完成を見ることなく、喜光寺で亡くなり、火葬されて生駒の竹林寺に埋

葬されているということでした。

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