奈良縣里程元標、除幕式
長年の夢がかなって、24日奈良市橋本町の御高札場前に奈良縣里程元標が復元されました。1888年、明治21年奈良縣ができたころ、奈良縣里程元標がたてられたそうです。当時の知事から奈良の高札場のあった、奈良市橋本町に場所が指名されたそうです。奈良縣里程元標は、木製であったと記録されています。
そして大正時代に、奈良市の道路元標もそばにたてられました。地元では、いつかこの奈良縣里程元標を復元したいものだとひそかに思っていました。
昭和59年。1984年、江戸時代にあった、橋本町御高札場が、場所をすこし移動して、地元熱意で復元されました。その後、26年の歳月が流れ、木もずいぶん貫禄が出てきました。
そしてこのたび数年前から、奈良縣里程元標を復元する検討がはじまり、奈良市の補助事業である、市民企画事業にも選ばれました。
およそ30センチ角の吉野産のヒノキは、長さも3メートルはあるのではないでしょうか。とても立派な木です。飛鳥建設の手でみごとに完成しました。
京都、大阪、三重などへの距離が書かれています。
除幕式の24日はたいへん雨がふっていたのですが予定通り、朝10時30分から除幕式がありました。仲川げん奈良市長はじめたくさんのご来賓、地元の方にきていただきました。
お近くにこられたら実物を、ぜひご覧下さい。
5月23日付読売新聞奈良版でくわしく紹介されています。(クリックしてください)
なお、橋本町は東は猿沢池の采女神社から西は南都銀行本店まで。そして札の辻の交差点からもちいどの通りの明新社(最近は絵図屋)までです。いわば T の字です。(ただし猿沢商店街は橋本町ではありません)
奈良に住んでいる人でも正確に知っている人が少ないようです。
余談ながら、当方の本店も橋本町です。
「奈良県の里程元標檜の香も清しく復元三条通りに」(毎日やまと歌壇採歌)
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