人事異動の季節
3月も月末、年度の終わりとなりました。人事異動の季節です。ことしは、役所など60才定年のところは、団塊の世代の昭和22年組が大量退職のようです。
県庁や市役所もしかりです。昭和23年組が60才になる年です。
意に沿う異動もあるでしょうし、そうではない場合もあるのでしょう。それでも多くの課題を抱える行政には、きちんとしてもらいたいと思います。
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3月も月末、年度の終わりとなりました。人事異動の季節です。ことしは、役所など60才定年のところは、団塊の世代の昭和22年組が大量退職のようです。
県庁や市役所もしかりです。昭和23年組が60才になる年です。
意に沿う異動もあるでしょうし、そうではない場合もあるのでしょう。それでも多くの課題を抱える行政には、きちんとしてもらいたいと思います。
近鉄奈良駅のすぐそば、小西通りに、新しい商業施設が4月2日にオープンするそうです。
たしか1970年の大阪万国博覧会のとき、近鉄奈良駅が地下化されたとき以来、建物も建たずレンタサイクル貸しであったり、自転車置き場であったりしていたところです。入り口が少し狭くて奥になると広いという不整形な土地でした。
飲食店が多いようです。くわしくは、近鉄の広報をごらんください。
夕方歩いて、友人とふれあい回廊「夢しるべ風しるべ」内のそばや「わらべ喜庵」(よろこびあん)に出かけました。大阪の北新地のおいしいそばやさんのご長男夫婦がされているお店です。昼間は行列が出来ているそうですが、夜は並ばなくても入れますから夜がおすすめです。お酒もとてもおいしいところです。
ふれあい回廊「夢しるべ風しるべ」の夜を、地元の人が利用してもっともっと盛り上げてもらいたいと思います。
いく途中、氷室神社の枝垂桜を拝見しました。奈良の一番桜がことしもすばらしい満開を見せてくれました。(ライトアップはされていません。写真は自動修正で明るく写っています)
そして友人のピアニスト川嶌和子さん(56才)(2007.1.30ブログ)の訃報が届きました。とても残念です。
「満開の桜のもとに友が逝き」 (鹿鳴人)
キャラクター騒動に新しい動きが出てきました。以下は新聞記事から。
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頭に鹿の角「仏様を侮辱」
2008年03月28日
平城遷都1300年祭のマスコットキャラクター
■僧侶有志再考求め事業協会に意見書/平城遷都マスコット
賛否を呼んでいる平城遷都1300年祭(2010年)のマスコットキャラクターについて、地元奈良の僧侶有志が27日、「仏様の頭に鹿の角を生やし、侮辱している」として、再考を求める意見書を県などでつくる同祭の事業協会に提出した。
意見書を出したのは、奈良市と周辺の寺院の僧侶20人でつくる親睦(しんぼく)団体「南都二六会(なんとにろくかい)」(会長=橋本純信・十輪院住職)の有志。橋本会長は「眉間(みけん)の白毫(びゃくごう)(白い巻き毛)や長い耳は仏様の特徴そのもの。仏様をちゃかしているようで、違和感、嫌悪感がある。これが印刷されたポスターや案内物は境内には置けない。県外の仏教団体にも私たちの主張を広めていきたい」と話した。
事業協会は「内部で検討する」と応じたものの、「キャラクターは仏ではなく架空の童子。今のところ再考の意思はない」と、従来の姿勢を崩さない構えだ。
キャラクターは彫刻家の籔内佐斗司・東京芸術大教授の作品で、2月に発表された後、インターネットやマスコミで話題になり、愛称募集には全国から1万4千件超の応募があった。愛称は4月中旬に決まる。
最高気温も20度近くまであがり、のどかな春うららです。
氷室神社の枝垂れ桜も見ごろと新聞で報じられています。
たしかに出勤途中に、咲き始めた桜を見かけたり、三条通の猿沢池の近くでも咲き始めました。
奈良では、テレビ「鹿男あをによし」は終わりましたが、行楽の人が増えています。ここしばらく桜を楽しむことができそうです。
奈良出身で現在東京を中心に活躍する、ジャズピアニスト安井さち子さんがひさしぶり奈良でジャズライブを行なうとのことです。
4月5日(土)2時から。奈良市三条通、専念寺・本堂にて。2500円。
紹介が遅くなりましたので残席少ないようですが、申込は鹿鳴人までよろしく。qyc04615@yahoo.co.jp
2月20日発売のCDがスィングジャーナル誌などで高い評価を得ているようです。
安井さち子さんのhpは以下の通りです。http://www.sachikoyasui.com/
昭和23年、テイチクレコードから出た、奈良市観光課選定歌の「奈良はなつかし」は♪月がとっても青いから遠廻りして 帰ろ. ・・・を歌われた 菅原 都々子さん
が歌われたそうです。 (歌詞は画面をクリックしてください)
昭和25年ころの「奈良音頭」は、当日芸者さん体調不良で残念ながら聞けませんでしたが、会場の皆さんは多くの人がご存知のようで最後にみんなで歌われました。
昭和8年の「奈良行進曲」は藤村(藤山ではなく)一郎さんが歌われたとのことでした。
昭和29年コロンビアレコードの「奈良ばやし」は当時の人気歌手、霧島一郎、奈良光枝のおふたりが歌われたそうです。メロディを聞いたような記憶が浮かんできました。
これから市民とともに「奈良小唄」と「奈良盆踊」の復活がはかられていくそうです。
昨日奈良で土居年樹さんのお話を久しぶりに聞く機会を得ました。大阪天満3丁目商店街の理事長さんであり、いろんな役職などをお持ちであり、たいへんご活躍されている陶器店の社長さんです。
天満繁盛亭をたちあげ、ひっぱっている人というのがわかりやすいかもしれません。
この日語られた「よく商店街は町の顔といわれるが、わたしは商店街は町の心臓やと思っている。商店街がなくなったら、町は死んでしまうんや」という言葉はどきっとするものでした。いろいろな具体的な実践をされ、その中から語られる言葉は本物だと思います。
土居さんの紹介のページがありました。http://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kanko/mr_doi.html
講演終了後、土居さんから「がんばっとるなあ。もちいどのもだいぶ良くなってきたなあ」というありがたい言葉をいただきました。
土居さんにはおからだに気をつけていただき、あちこちを叱咤激励ご指導を続けていただきたいと期待します。
世界の巨匠の指揮者、秋山和慶氏がふたたび奈良に来ておられます。
前回は2004年9月の奈良フィル定期演奏会で指揮され、大好評を博しました。
ふたたび奈良フィルの熱烈なリクエストをうけて、以下のように奈良フィルの定期演奏会で指揮をされます。久々の来奈、大いに楽しみです。当日チケットもあるようですから、ぜひ聴きに行っていただきたいと思います。
とき:2008年3月23日(日) 午後1:30開演
場所:奈良県文化会館 近鉄「奈良駅」下車 東へ5分
指揮 秋山和慶
(2004年4月より広島交響楽団 音楽監督・常任指揮者、九州交響楽団 ミュージック・アドヴァイザー/首席指揮者に就任。2004年9月より東京交響楽団 桂冠指揮者に就任する。)
ヴァイオリン 岩谷祐之
チェロ 西谷牧人
◆曲目◆
組曲《火の鳥》(1919版)/ストラヴィンスキー
ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲/ブラームス
交響曲第8番/ベートーヴェン
入場料(全席自由) 当日 一般 4,000円 高校生以下 2,500円
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練習後の秋山先生にお会いできました。秋山先生は「近鉄が道路の上を走っていたころから奈良は何度も来ている」とのことです。大阪フィルと何度も来ておられるとのことでした。
1月半ばくらいからはじまった、フジテレビ・関西テレビ系列の「鹿男あをによし」が終演しました。「三角の目」は、最初の剣道の大和杯の三角のプレートではなく、「三角縁神獣鏡」であり、それを使う満月のもとでの朱雀門前の儀式により、無事、大地震をおこす地下のなまずをしずめることができました。
このところ、奈良の町では、このドラマのことがしばしば話題にのぼり、とくにあそこでロケがあった、玉木宏を見た、が写真は撮らせてもらえなかった、とか、あの店はその後良くはやっていて玉木宏が座った席を予約する人がいるとか。かくいうわたしも学生時代から良くお世話になっている、もちいどのセンター街のすぐそばの「蔵」さんをひさしぶり訪問しおでんにキモ焼きを食べお酒をおいしくいただきました。(ドラマでは飛鳥のふたりが遅くまで飲んでいたお店)
下宿屋ということで家の正面がでてきたK氏宅も一躍話題のスポットになったそうです。
最終回は、猿沢池や五十二段、若草山頂上、そして奈良の町の全景、奈良文化財研究所の屋上、奈良町、近鉄の駅(実際はロケで天理駅をつかって奈良駅にしたそうです)大仏前、そしていつもの飛火野などがでてきました。
奈良の人は、あっあそこはどこだ、ということにとくに関心があったようです。
鹿ロボットも準主役級の活躍で、いろいろの表情をしていました。新聞によれば、荒井知事さん、この鹿ロボットを譲り受けて、なら遷都1300年祭のPRに活用したいと申し入れされたとのことです。
奈良には鹿というマスコットがあるのですから、考えてみれば、「お坊さんに鹿の角」のような不評のマスコットなどごり押しする必要はないように思います。
21日から23日まで、当方の奈良もちいどのセンター街のギャラリーまつもりにおいて、西アジアの絨毯とキリム展がひらかれます。
ふくやまやすおさんが、「僕が好きで集めたイランとアフガニスタンの部族絨毯・キリム、アジアやアフリカの衣装・布を見に来ていただければ幸いです」といっておられます。
ふくやまやすおさんには以前にも展覧会をしていただきましたが、お得意の写真なども展示され好評でした。ふくやまさんのhpを紹介します。http://charsuq.exblog.jp/i13/
ぜひお近くに来られましたらごらんください。おすすめの展覧会です。
読売新聞、毎日新聞などにもそれぞれ奈良版で大きく取り上げられています。
もちいどのセンター街の食品スーパーの予定の概観もはじめて新聞を通じて
拝見しました。一日も早い開店が待ち望まれます。
記事は毎日新聞奈良版から。
以下は読売新聞から。http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/nara/news/20080313-OYT8T00078.htm
以下は奈良テレビのニュースから。
奈良市の中心市街地活性化計画が国の認定 / 奈良市 2008/03/13 19:20
奈良市が市の中心市街地の活性化を目指した基本計画が
内閣府の認定をうけ、市民劇場などを作るおおがかりな整備が
国の補助金などを使ってスタートすることになりました。
この計画は地盤沈下が指摘される奈良市の中心市街地に
にぎわいを取り戻そうと、市などが立ち上げたものです。
対象となるのはJR奈良駅と近鉄奈良駅を結ぶ商業地域や、
奈良町など約290ヘクタールで、いわば旧市街の中核部分です。
計画では餅飯殿商店街に生鮮食品などの専門店を集めた
複合施設を建設するほか、橋本町に100席から150席の市民劇場を開設。
また道路の拡幅や奈良町の空き家の活用などを行います。
今後国の補助金や交付金をうけ、2012年までに事業を
展開する方針で奈良市ではこれをバネに、観光客の数を
約4万5000人増やすほか、商業の売り上げを
31億円増加させることなどを目指しています。
奈良女子大生による「奈良」に関わる研究発表会が行なわれるということです。
3月21日(金)13:30~16:30、元興寺禅室。無料申込不要。ということです。
くわしくは以下のhpに載っていますのでごらんください。http://www.nara-wu.ac.jp/gp/
現在マスコット人形の賛否が大きな社会的な話題になっていますが、
そもそも平城遷都という名前はどこでどう決まったのか?という疑問の声が上がっています。
50年ほど前は、奈良遷都1250年祭でした。奈良時代があり、奈良に都が移ったという意味であり、奈良県全体でもお祝いムードがあったと思います。
しかし今回どうして平城遷都1300年祭という呼び名なのか?という疑問の声が上がっています。平安時代はありますが、平城時代とはいわず奈良時代と歴史でも教えています。平城遷都では、飛鳥の都や藤原京の方は諸手を上げて賛同していろいろな記念行事に参加されるのでしょうか?
奈良という地名は、奈良県であり、はっきりとした場所でたいていはわかります。そこで、なぜあえて平城遷都というのか、50年の間に大きな変化があったのか、という疑問の声です。
奈良市の姉妹都市の福島県郡山市と福井県小浜市の物産フェアーが8,9日にもちいどのセンター街のマーチャントシードセンターでおこなわれます。
小浜市は、東大寺修二会のお水取りの水を、若狭から送る(3月2日に小浜市でお水送りの行事があったそうです)というご縁です。福島県の郡山市は、猿沢池の采女祭のもとである、采女の出身地というご縁で、それぞれ奈良市と姉妹都市になっています。
物産フェアーは毎年好評で、添付の品をはじめ多数の物産が販売されます。
主催は奈良市。問い合わせは奈良市商工労政課です。
よく利用されていて好評であった、ならまち大通を走っていた100円のならまちバスがいつの間にか廃止(休止?)されているということです。そして奈良市内の世界遺産を外国語で案内しながらつないでいた、世界遺産バスも知らない間にすでに廃止されているということです。
近頃、奈良では見かけなくなったのはなぜだろうと思っていたベロタクシーもすでにやめていたことを今頃知った次第。いろいろはじまり便利になるなあ、と思われることも結局廃止されるのは、需給の関係と、採算の問題でしょうか。
たしかに先日のフォーラムでも講師の先生がいっておられたように、採算がとれることがなにより継続のためには必要ということかもしれません。
が、こういう公共交通は単に採算ということで、一旦は便利になり知れ渡り、慣れたころには廃止というのは、消費者がひとり取り残され、元の木阿弥以下になるような気がします。
奈良小唄と奈良盆踊の復活というチラシをもらいました。もちいどのセンター街にすぐ隣接する奈良の花街で明治、大正、昭和と歌い継がれたなつかしい唄と舞踊の数々が、復活されて披露されるということです。日時と場所は、3月15日(土曜日)14時から、JR奈良駅西口すぐの、なら100年会館中ホールです。入場は無料とのこと。
覚えておられる芸者さんもお元気ですがずいぶん高齢ということで,このままつながれないと、なくなるおそれがあるということです。奈良市民が民間で企画して、奈良市がおこなわれる市民企画事業ではじめてということです。(チラシでは市民参画事業とありますが誤りで、市民企画事業というのが正しいそうです)
子どもの仏像の頭から鹿の角がはえている人形、にやはり苦情が殺到していて、反対の署名運動がはじまったと毎日新聞3月2日付朝刊の1面は伝えています。http://mainichi.jp/select/today/news/20080302k0000m040103000c.html
友人H氏の指導を得て、はじめてアップした動画です。以下をクリックしてください。
3月1日から、東大寺修二会がはじまりました。予定通り遠方の友人H氏がはじめて見学にやってきましたので、いっしょに楽しむことができました。
昼からまず、奈良国立博物館で現在開催されている「東大寺お水取り展」を見学しました。
そして4時から友人のSさんらがされている奈良インターカルチャー主催の、東大寺お水取りのお話を、100人の皆さんとともに、執事長の筒井寛昭師から1時間あまりにわたってうかがいました。
精進料理のお弁当のあと、おたいまつの場所は各自それぞれに分かれましたので7時まで1時間あまり、二月堂の真下で待ちましたが、みごとなおたいまつを拝見することができました。写真は後日ご披露します。
その後は、内陣で11人の練行衆の皆さんの初夜の悔過の行を拝見・拝聴してきました。夜更けとともに寒さが増してきました。暗いお堂の中で、響き渡る声明やお経、ほら貝やいろいろな所作の音、全国の神様を読み上げる神名帳などすばらしい世界がくりひろげられました。。西暦752年大仏さんの開眼の年から、ことし1257回目。欠かさず続けられているということのなかに、すばらしい歴史と伝統、を感じました。それはたぶん、1257年前と同様であろうと想像すると、修二会を僧侶とともに多くの人々が支え続けてきた重みとともに、時間的な同時性をふかく感じるものでした。
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