法隆寺秘宝展
11月30日までということで別に500円の入場料が必要でしたが、大宝蔵殿では法隆寺秘宝展を拝観することが出来ました。
多くの観光客は入られないようで、静かな落ち着きのある展覧会でした。高校のころ、いろいろな仏様をここで見たことを思い出しました。
奈良国立博物館の本館と通ずるような、重厚さと伝統を感じる会場でした。
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11月30日までということで別に500円の入場料が必要でしたが、大宝蔵殿では法隆寺秘宝展を拝観することが出来ました。
多くの観光客は入られないようで、静かな落ち着きのある展覧会でした。高校のころ、いろいろな仏様をここで見たことを思い出しました。
奈良国立博物館の本館と通ずるような、重厚さと伝統を感じる会場でした。
法隆寺でも有名な百済観音は、以前に法隆寺でも、あるいは奈良国立博物館に出陳されたときも拝見したことはあるのですが、平成10年に出来たという百済観音堂ではじめて見ることができました。
つながっている西宝蔵と東宝蔵でも、夢違観音像など多数の宝物が展示されていました。
防火防災設備が十分に整えられた最新式の建物に見受けられました。
ひさしぶりに法隆寺を訪問しました。遠くの友人のほうがよく訪ねています。すぐそばにいたり、すぐそばを通っても、訪問する気持ちがないとすっかりご無沙汰になるというものです。
町営駐車場600円にとめて、西院伽藍へ。西円堂は初めての訪問でした。そしてたくさんの入場の方に混じって、五重塔へ。初層の東西南北には、釈迦の入滅などの様子の彫刻が見えました。
金堂内部も、並んで拝観しましたが、釈迦三尊、薬師如来、阿弥陀三尊などがうす暗くてあまりよくは見えませんでした。保存との関係であまり明るくは出来ないのでしょう。
法隆寺のhpです。http://www.horyuji.or.jp/
秋空の良い天気の日、急に思い立って出かけました。仕事では良く通る道すがらにある慈光院にはじめて立ち寄りました。
茶道の石州流のゆかりのお寺です。庭がとても有名で、中秋の名月などでもよく紹介されます。拝観料は抹茶つきで1000円。境内は緑にあふれ、鳥などの鳴き声が聞こえ、しばらく落ち着いた時間を味わうことができました。
慈光院のhpは以下の通りです。http://www1.kcn.ne.jp/~jikoin/
先日の興福寺秘仏拝見のチケットは国宝館の入場チケットもセットになっていましたので、日を改めてたずねました。
今回は、有名な阿修羅像とともに乾漆八部衆立像(かんしつはちぶしゅうりゅうぞう)が一堂にならんでおられました。興福寺の場合の八部衆は、「五部浄(ごぶじょう)、沙羯羅(さから)、鳩槃荼(くばんだ)、乾闥婆(けんだつば)、阿修羅(あしゅら)、迦楼羅(かるら)、緊那羅(きんなら)、畢婆迦羅(ひばから)」ということです。http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/01_index/f_main_d.html
そして多くの人々で国宝館はにぎわっていました。
ほんの1週間前は、いま11月の後半なのか?と思うような暖かさでしたが、急に寒くなりました。会津から初雪のたよりが届いたばかりなのに、東北では11月にこんな大雪との驚きのテレビニュースです。
季節の変わり目が急に訪れているような感じです。
感覚と暦と実際の気温がマッチしません。こういうことを繰り返してお正月にむかっていくのでしょうか。
手前の田んぼもすでに稲刈りが終わっています。
なぜか気持ちがほっとする風景です。
奈良市写真美術館では、いま、開館15周年記念「入江泰吉と奈良を愛した文士たち」とい展覧会がひらかれています。
入江泰吉さんの写真1枚1枚に会津八一、亀井勝一郎、志賀直哉、高浜虚子、堀辰雄、正岡子規、森鴎外、和辻哲郎の、文、歌、俳句などで説明されています。あまりに写真とそれらの文などがマッチしているので非常に感動の深いものでした。
12月24日までされているそうですから、ぜひ一見の価値ありです。http://www1.kcn.ne.jp/~naracmp/tenji/index.html
東京在住の友人が、荒井知事の呼びかけで先日250名を集めておこなわれた「奈良の会」で聞いたとメールを送ってきてくれました。
堺屋太一氏のPRの「聖徳太子の超改革」という番組が25日夕方テレビ朝日系列で放映されるそうです。
テレビ案内のHPは以下の通りと伝えてきてくれました。
「聖徳太子の超改革」
http://www.tv-asahi.co.jp/panasonicsp/
「月から出る地球の様子」を見ることができると新聞に出ていましたので、検索してみました。
動画で地球がでてきます。そして地球は、かつて宇宙飛行士のガガーリン氏が語っていたように、青くてきれいな星です。
あの地球という星のうえに私たちがいま在るということに感慨を覚えることです。
いま、全国の映画館で「3丁目の夕日」の続編が放映されています。
どこが良いというのは、うまく言えないのですが、あのころへのノスタルジアをつのらせる、良い映画だと思います。
hpは以下の通りでした。http://www.always3.jp/
先日所用で東京へ行ったとき、六本木に出来た新国立美術館をたずねました。
ガラス張りで建物もいちど見てきたらと友人のすすめもあったからです。
ちょうど日展とフェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展などが行なわれていました。
新国立美術館の建物ですが,たしかにユニークでした。
新国立美術館の建物のhpです。http://www.nact.jp/building_intro.html
11月17日(土)14時開演。「軍団」。大和郡山城ホールにて。
奈良県出身の、作・演出は 松村 武さん。同じく奈良県出身の八嶋智人さんも出演されるとの事です。
くわしくはhpをご覧ください。http://www.3297.jp/index2.html
正倉院展期間中の、「はじまりは正倉院展」のスタンプラリーはなかなか好評のようです。市内の中心市街地の商店街や奈良女子大学、ガイドの会、県や市の方、いろんな団体の方のご協力で、連日、奈良国立博物館の前で無料パンフレットを配布し、近鉄駅前と奈良観光センターをゴールにして抽選が行われていました。今回のパンフレットは、昨年の反省の上に立って作られましたので、無料ながらりっぱなパンフレットでいま一番新しい奈良のガイドブックともいえます。中心市街地の商店などの最新地図も入っています。期間中、配布場所とゴールへ立ち寄りました。3つのスタンプで1回抽選。奈良のホテルにペアーでご招待が当たっていたり、正倉院文様のハンカチが当たったり、はずれでももれなく5種類の正倉院文様のはがきの1枚をもらっておられました。日によって異なりますが、かなりの方がスタンプラリーに参加されていました。
9日の金曜日の夕方国立博物館前に立ち寄りますと、金曜日土曜日は19時まで開館されていますので、まだまだたくさんの人がおられました。その日は、博物館前あたりで特別に夕暮れから、夏おなじみの燈花会の灯りが準備されたり、当日博物館内では南都楽所などによる雅楽の演奏がおこなわれるということでした。またその日おそく秋篠宮夫妻が正倉院展の見学にこられたそうです。翌日の新聞ではきれいな燈花会のようすと、ご夫妻の見学の様子が伝えられていました。
いよいよ12日ことしの正倉院展は最終日を迎えます。
毎日出勤する店のすぐそばに興福寺はあるのですが、いろいろな仕事でなかなかいろんな展示物を見に行くことができません。
が、すぐそばでも意識すればなんとか時間は出来るもので、本坊で公開されている秘仏、観音像をお庭から拝観することが出来ました。
何しろ秘仏というのですからそういつも見ることはできないのではないかと思います。光背が後で作られたので国宝ではなく重要文化財だと説明されていました。
また、北円堂では12日までということで、弥勒如来や無着・世親菩薩という運慶作のすばらしい仏像や内陣の四天王など公開されていますが、夕刻すべりこみで拝観することが出来ました。
灯台下暗しですが、すこしのチャンスを有効に使いたいと思った次第です。
興福寺のhpです。http://www.kohfukuji.com/
正倉院展も折り返しを過ぎ、ことしは昨年より1日早く10万人を越したと新聞はつたえています。
まちなかも人が多くにぎわっています。近鉄奈良駅から歩いてこられるお客様も人が出ていますねえ、といっておられます。
7日から、当店のギャラリーでは大東純子展<私の四季>がはじまりました。正倉院の前のいちょう、戒壇院前の紅葉、夏のささやきの小道、飛火野の大木、薬師寺の東の塔の風景。奈良の人ならよく知っている風景の四季折々いろいろな表情が描かれています。また花や植物などの身近な自然を題材にされた素敵な絵が心をなごませてくれます。
つづいて西山厚先生のお話です。
正倉院の御物には、聖武天皇が集められた宝物や身近でつかわれた宝物や光明皇后によってお供えになられた宝物などいろいろな宝物があります。
そして、一方、たとえば当時役所の事務的な文は、以前使われた反古の紙の裏をつかっているので、それが幸いに、当時のことがよくわかるということです。
また今回出陳されている、よごれた奈良時代の服は、役所の支給品であり下級役人がつかって役所に返還したものです。名前も書いてあり、それでそのころのふだんの役人の様子がわかります。
宝物だけなら宝物の世界しかわかりませんが、そういう奈良時代に使ったものがそのまま正倉院に保存されたので、奈良時代のいろいろなことがそのままわかるという意味でも、正倉院の御物はすばらしいと言えるということでした。
奈良国立博物館の教育室長の西山厚先生の講演を聴く機会がありました。
正倉院御物も戦時中あちこちに分散されて疎開していたそうです。そのうちの30数点を奈良国立博物館が預かっていて、それを関係者の努力で許可をもらい、昭和21年にはじめて公開したところ、何万人もの人々が列をなし、見に来たそうです。当時戦争の敗戦により、日本人のよりどころを失っていた人々には、たいへんな自信を与えたのではないだろうかということです。そして第1回とはポスターにもチケットにも書かれていません。その機会だけの公開で終わる予定であったようですが、その熱意に押され、その後も続いているということです。
ただ、昭和21年から欠かさず公開されて今年で59回目。数字が合いません。というのは東京で3回だけ行われたそうです。59回と数えるのは、奈良で行われた回数であり、先人が奈良で行われた展覧会だけ正倉院展と数えている見識があるからだということです。
そして、正倉院展の行われるこの時期に、多くの寺社が所蔵するいろいろな宝物を公開されたり、いろいろな催しをしたり、日本中世界中の人々に対して、奈良の町をあげておこなわれる素晴らしい催しだということ、そして奈良にしかないのだということを、あらためて奈良にいるわたしたちは心がけましょう。
以上のようなお話とともに、ことしの出陳の御物のお話をきくことができました。
平城京遷都は710年です。いまから47年前1960年に奈良では奈良遷都1250年のお祭りが盛大に行なわれました。
1960年(昭和35年)3月10日、ちょうど小学校5年だったでしょうか、学校もお休みになり、三条通を国鉄奈良駅から東に進むパレードを楽しく見ていたことを覚えています。が、くわしいことは、はるか記憶のかなたで、当時の映画大スターの長谷川一夫さんが出ておられたことなど断片的に思い出します。
そんな昨今、当時の奉賛会会長としてこの1250年遷都祭をつくりあげられた谷井友三郎さんの息子さんである、現在の奈良市観光協会会長の谷井勇夫さんからこんな記録写真集があるといって、大和タイムス社(現在の奈良新聞社)発行の「記念記録写真集」を見せてもらいました。
長谷川一夫さんは聖武天皇の役、京マチ子さんは光明皇后の役であったそうです。なつかしい光景です。知っている方のおじいさんやおばあさん、お父さん、おかあさんなども写真に写っています。当時市立小学校の5年生であった友人のすばらしい作文ものっています。
ともかくも盛大なお祭りでした。6日間にわたるお祭りであったそうです。
本は奈良市立図書館で探してもらったらありましたので、紹介します。
11日まで、奈良町の阿字万字町(あぜまめちょう)のなら工芸館で「美を創る、美を愛でる」という奈良工芸フェスティバル2007がひらかれています。http://www.eonet.ne.jp/~naramachi/
11月になりました。朝夕涼しくなりました。朝出かけるときには涼しそうですし、もう11月なので合いものの服を着て出てくると、昼間は暑かったりしてなかなか暦と気候がマッチしません。
ことしは夏暑かったので季節もずれているのでしょうか。紅葉もすこし遅れるようなことを聞きます。
鈴虫も8月の暑さのときからまだ鳴いています。すこしのこぎりがすりきれてハスキーではありますがこれは秋の夜の気配を感じさせてくれます。
ともあれ、ことしも6分の5過ぎました。1年は365日、もともと短いものだと思い直すのですが、あと61日となりました。1日1日を心ゆたかに過ごしたいと思います。
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