「ぜいたく」
「昔に比べると随分贅沢(ぜいたく)になった。便利さを買っていると言うことかな?趣味はお金に左右されると朝日新聞に出ていた。」と友人がメールしてきてくれました。
今ぜいたくといえば、とてもぜいたくな状態だと思います。戦争が終わって、数年後に生まれたわれわれ団塊の世代は、ずいぶん不便な時代のたぶん最後のころを小さいころ経験しています。
いろいろなかったものが、現在は、不思議に思えるほど、いろいろなモノがあふれています。電気関係だけでも、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、から、ビデオ、DVD、テープレコーダー、ステレオ、エアコン、暖房器具、ファックス、パソコン、携帯電話、デジタルカメラ、音響機器etc。etc。家電量販店にいっても、ありすぎて、逆に買うものに困ります。そして往々にして、使いこなせかったり、故障した形で、家の中にころがっていたりします。多くのものは十分使いこなせないほど多機能なモノばかりです。むしろ、機能のはっきりしたものをシルバーは買い求めるようです。押すボタンが少ない携帯電話であるとか。かんたんなボタンの大きな家電製品であるとか。
しかし、アウトドアであったり、阪神大震災などのようなとき、いかに、めぐまれた生活を現在しているのか、思い知らされます。火をおこし、湯を沸かすこと、食事を作ること、水を手に入れること、ライフラインが切断されたときのわれわれの現在の生活がいかに脆弱(ぜいじゃく)なものであるか思い知らされます。
1月17日。いまから11年前がその大震災でした。奈良でも大いに揺れましたが、さいわい、文化財への影響は少なく被害も少なかったのですが・・・神戸を中心として大惨事でした。
「ぜいたくな」、よくいえば、「とても快適な」生活は、いろいろな先人の苦労の上にあることをあらためて思うこのごろです。そして年配の人たちの口癖であった、「ぜいたくな」という言葉を思い出します。
« 奈良市写真美術館 | トップページ | 若草山焼き »
コメント
« 奈良市写真美術館 | トップページ | 若草山焼き »
私が小さかった頃、母は手で洗濯をしていた。冬は指にひびが入り痛そうだった。
冷蔵庫は氷を上に入れて冷やす物で、毎日氷配達の人が来た。電話もなく、知り合いの家まで歩いて行って連絡をとった。
今は本当に便利な世の中になったものだ。
でも、そんな「便利な物」がなくても生きられるたくましさと知恵を忘れずにいたいものだ。
投稿: B面 | 2006年1月 7日 (土) 18時45分
B面さん、コメントありがとうございます。
そうでしたね。寒い日、冷たい水でたくさんの洗濯物を、固形のあまり泡立たない石鹸で、洗濯板をつかって腰をかがめて洗っていました。それがいまや全自動ですからね。そういうことは忘れたくないですね。生まれたころから、そういう便利なものに囲まれて育つこどもたちは、どうなのでしょうね。キャンプとかアウトドアでそういう体験をするのがやはり大事なのかもしれません。
投稿: 鹿鳴人 | 2006年1月 8日 (日) 08時02分