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2005年11月30日 (水)

春日大社

奈良の町を東西に走る、メインストリート三条通りを奥山方向、東に歩くと、朱塗りの春日大社の一の鳥居がある。そこからは、砂利を敷いた道になり、両脇には、灯篭などがたち、どんどんあるいていくと、やがて、二の鳥居があり、鹿の像の口からきよらかな水がながれ、お参りの前に口や手などをととのえるようになっている。ここまで来るとうっそうとした木々にかこまれ神域の感が深い。

奈良の世界遺産のひとつ、春日大社だ。しばらくいくと本殿があり、参拝をする。藤が春日大社のシンボルであり、春にはたくさんの藤が咲くのが美しい。有名な砂ずりの藤もすばらしい。

本殿から南の方の参道を行くと12月のおんまつりの若宮さまがおまつりしてある。11月も終わりに近づくともう、準備の行事はすすめられているそうだ。15日には大宿所祭り、17日にはおわたり行列だ。

さらに奥深い道をあるくと多くの末社があちこちにある。紀伊神社があり、金龍神社などもある。小道は「ささやきの小道」とロマンティックに表現される、禰宜さんたちが通う道はなかなか趣がある道だ。ずっと歩くと森から大きな道(するがまちー高畑線)にでて、やがて新薬師寺や奈良市写真美術館へとつづく。

本殿から、くだってから北の方にいくと、若草山山ろくから、東大寺三月堂、二月堂につながっている。

東は御蓋山(みかさやま)の奥山があり、神域でありふつう人は立ち入れないところです。

春日大社のHPは次のとおりです。http://www.naranet.co.jp/kasugataisha/

2005年11月29日 (火)

奈良県新公会堂

奈良公園の中に、大きな屋根の建物がある。かつては明治時代にたてられた公会堂があったが、置県100年を記念して昭和62年に建てかえられたものだという。

若草山を背景に、大きな日本がわらの屋根は、日本一の大きさということだ。中には、能楽堂があり、能なども催されている。また講演会なども、能の舞台で、出演者は履物をとくべつはきかえておこなわれている。

まえの庭も立派だが、東の庭がまたすばらしい。昔からの庭を大切に保護され、園遊会の雰囲気だ。新公会堂のHPは次のとおりです。

http://www.shinkokaido.jp/

2005年11月28日 (月)

宿泊施設

奈良市は、有数の観光都市であると言われてはいる。が、宿泊施設については、県単位での統計では、全国でもかなり下位の宿泊施設しかないということだ。江戸時代でも、やじさんきたさんの頃でも旅籠が登場し、松尾芭蕉も宿泊したと、本にも出てくる。

奈良ホテルなど高級ホテル、あるいは高級料亭旅館、あるいは修学旅行相手の旅館、などがあるが、普通の旅館はすくなくなってきているようだ。また、旅館白鳳や静観荘など、素泊まりだけのリーズナブルな旅館は外人客にも日本の宿に泊まれるとあって人気があるようだ。また、スーパーホテルやビジネスホテルは、割安感からふえてきているようだ。

が、なかなか、立地的に制限があって、宿泊施設のめざましい、計画は聞かれない。県では、2010年の遷都1300年に向け、具体的な数字をあげて、増加をうちだしたそうだ。また、宿泊施設の建設には、税金面の優遇をうちだしたり、民間の家の宿泊施設への転用をうながす、政策をとりはじめたと、12月県議会に向けて、新聞では報道されている。

藤原奈良新市長も、奈良へ来る人を増やすことが大切、奈良ブランドを打ち出すこと、など観光、商業、中心市街地への期待を語っておられる。

遷都1300年が、大きな節目のようだ。この機会に、奈良市の宿泊施設の増加、イコール滞在型・歴史・文化・自然環境、を大切にした、「体験型観光」といったものが、大切なのではないだろうかと思う。

2005年11月27日 (日)

会津八一 2

奈良のあちこちに、歌碑がある。なかでも、早稲田大学教授で、歌人の、会津八一氏の、短歌は達筆な字とともに、味わい深く、すばらしい。

今はもう閉じて建物だけ残っている、日吉館という、奈良を研究する人たちがかつてよく泊まり愛されたという、旅館がある。旅館と言うより、宿であり、セミナーハウスともいえる宿泊施設だ。奈良国立博物館のそばにあり、田村さんと言うおばさんの献身的なお世話は、小説にもなり、テレビドラマにもなっている。学生たちをよく連れていつも利用した、ひとりが、会津八一氏であり、そこには氏の書や額が飾られもしていた。

友人が仕事のかたわらライフワークとしてその会津八一氏のことを研究している。HPは以下のとおりです。

http://www.geocities.jp/surume81_1/hitorigoto/81/81top.html

2005年11月26日 (土)

「遅れてきたもの勝ち」

ある会合で、奈良生まれで現在京都ですまいする若い女性が、語られた言葉である。いわく、「京都はいろいろやりつくして、もう行き詰っている、その点、奈良はいままでなにも変わらなかった、とてもよいものをもっている。変わらないでいてくれてありがとう、と言いたい。奈良はこれからだ。遅れてきたもの勝ちで、やってほしい」と。

「変わらないでいてくれてありがとう」「遅れてきたもの勝ち」。なにか、考えさせられる言葉だ。

2005年11月25日 (金)

「ALL WAYS三丁目の夕日」

新聞の広告で、ふと、ノスタルジアをそそられる、絵をみた。近頃、心斎橋そごうがそうであり、大阪ガスの宣伝でも見かける、なつかしい描き方の絵であった。コミックではずいぶんまえからあったそうであるが、東京タワーができたころの東京をえがいた映画だ。原作はコミックの西岸良平氏だそうだ。

昭和33年の春から大晦日までを描いた映画だ。東京タワーが建設され、完成するまでの間の物語だ。春、青森を出て上野駅につく蒸気機関車sl。集団就職。受け入れる町の修理工場のこどもは東京の町の小学校4年生。10才、であろうから、まさにわれら団塊の世代。向かいのこども、そのころのこどもが実にうまく描かれている。なつかしいあの頃の時代が、かなり忠実に再現され、東京タワーの建設が進む東京もああいうなつかしい風景であったのだとまたなつかしい。

われわれ団塊の世代もしかり、その子供の世代も見てよかったという感想を聞いている。世代を超えた映画だと思う。

いろいろな出来事や、やりとりが、この映画にはこめられている。そして、なつかしさだけではないものがこめられていると思う。CGの活用、カメラワークもすばらしい。奈良でも中心市街地のすばらしい新しい設備の映画館、むかしは東映映画をやっていた、マルチスクリーンのシネマデプト友楽で、12月9日まで上映されているということであった。

「ALL WAYS三丁目の夕日」のHPは以下のとおりです。http://www.always3.jp/index02.html

2005年11月24日 (木)

ローハイド

友人からのメールの案内で、なつかしい「ローハイド」を見た。NHK第2衛星テレビで今晩も8時から放送されるようだ。「牛の群れを、売買の市場へカウボーイたちが連れて行く、その道はよくはわからないが、隊長役のフェイバーさんが決定。水がない砂漠を通過、皆の不満が渦巻くが、ようやく到着。水がふんだんにある池で牛たちは喜んで行水している。途中、いろんな衝突をくりひろげるのであるが、無事危機突破」というものがたりであった。副隊長にはクリント・イーストウッド。ほか料理当番のひげのウイッシュボンさんが印象的だった。また「ローハイド主題歌のララミィ~ローハァ~ィ~と聞こえていた所は   ride'em in raw・hide  だったのですね。」と別の友人はしらべてくれた。
中学のころ、ローハイドの一行が日本へのPRにきたのであろうか、奈良公園にもやってきた。例の幌馬車ももって、飛火野にやってきたのである。実に、びっくりした出来事であった。
ローハイドはわれわれ団塊の世代が小学校から中学校へ行くころのテレビ映画のひとつだ。なつかしい白黒だ。そこには「アメリカ」があった。名犬ラッシー、ボナンザ、うちのママは世界一、ルート66、ちびっこギャング、などなど。
「なつかしい」というのもこれからの大きなキーワードのひとつだと思う。

2005年11月23日 (水)

27日奈良町落語ふえすていばる

27日、朝11時から奈良町を散策すると、落語の世界に入り込んでしまう、という催しが開かれるそうだ。「車やさんに、本屋の善さん、代書屋さん、その他にも落語の住人が奈良町を闊歩する!店を出す!」「本物の時代の重なりが、優しく温かくつつんでくれる町、奈良町。訪れた人の中には、その古の町の風景にどこか落語の世界とダブらせた人も多いはず」・・と。楽しい世界が広がりそうだ。

出演者は、メジャーな笑福亭 鶴瓶、桂雀三郎、桂三歩、桂小春団治、ら上方の落語家が多数出演するという。会場はもちいどのプラザ、法徳寺、くるま座、東向き奈良キリスト教会、飲食店など計9ヶ所でおこなわれるという。(入場料は各会場で)

各種問い合わせは、うづらや、田中さんまで(TEL0742-22-7227)とのことです。

2005年11月22日 (火)

名古屋のまちかどから

先日、名古屋へ仕事で出かけた。ことしは、愛・地球博覧会で、大いににぎわった、名古屋の町だ。
駅前には、もとの毎日新聞や豊田通商ビルがあったところに、今年の初めは更地だったのに、かなり速いペースで高層ビルが建設されている。すこし離れたところには、中部電力のビルもまた、あたりのビルから抜き出てどんどん高く建設中の様子。

数年前までは、名古屋の駅前は、夜はあまりにぎやかではなく、栄のあたりのほうが、にぎやかで出かけていったのだが、JR名古屋駅に、マリオットホテルなど2つの高層ビルが建ち、高島屋ができたころから、がぜんにぎやかに
なったようだ。

夜、高島屋の壁面を使った、クリスマスの装飾、そして、いろんな星座が浮かび上がってくる装飾は今まで見たことがないようなセンスの良いもので、町ゆく人も携帯電話のカメラで写している人もいた。

もう町は、クリスマスとお歳暮と迎春がいちどにやってくるような、感じだ。

2005年11月21日 (月)

ならまちサイクリング

20日の日曜日。11月下旬とは思えない良い天気。自転車を引っ張り出して、「奈良町サイク」。脇戸町には古い民家を利用して、つる由まえに、「界」ができているとのことでちょっと拝見。ならまち工房も拝見。
ならまちセンター前では、こどもおん祭りのイベントがにぎやかにひらかれていた。
東寺林のもとすし屋さんのあとには、この夏から「季のせ」というおいしいそばやもできている。三条通り、ダイエーはたしか20日閉店。それほどの人の入りもなさそうな
さみしい閉店の感じ。あとはどうなるのであろうか?西隣のお店はすでに閉めている。
三条通りを東へあがると、写真屋さんがあったところには、呉服のチェーンらしき店が
あたらしく、開店準備中の様子。
先日、会合で、「地元の店がテナントに貸すようになり、後継者も帰らなくなりナショナルチェーンの店ばかりが増えると、奈良の町らしくなくなるし、商店街活動にも非協力的になってきてたいへんだ」と老舗和菓子店の社長が指摘していたが、まさにそのとおりだと思う。
あとは、どこかが入ってくるから良い、といった問題ではなさそうだ。  

2005年11月20日 (日)

「小さな恋の万葉集」

旧知の上野誠・奈良大学教授からいただいた近著である。飛鳥・藤原・平城の三都物語である「万葉体感旅行」(小学館)につづく、わかりやすい、万葉集のようだ。

たとえば現代訳「こんなにも、こんなにも恋しくて、恋しくて死にそうになった、わたし。 だから、すべてをママに話したのーーーそしたら、オーケーだって。  安心して、安心して、休まず通ってきてちょうだい!」

万葉集では「かくのみし こいばしぬべみ たらちねの ははにもつげつ やすまずかよわせ」と書かれているという。

ふつう、原文があり訳があることが多いが、この本は、現代語訳からはいっている。若い人向けにまずわかることからはいっていくところが、上野誠流かもしれない。

奈良時代をあらわす、奔放な万葉集は、現代にも通じるこころがある。万葉集を通して奈良の時代を体験できる。そう語られているような気がする。

本には華麗なる上野誠教授の珠玉の文とともに、佐藤秀明氏の写真もちりばめられている。小学館1470円。

上野先生の万葉集のHPは以下のとおりです。http://www.manyou.jp/

2005年11月19日 (土)

くらしにちょっとクラシック音楽!の会

恒例の正倉院展もおわり、奈良は冬に向けて動き出しているようにかんじるきょうこのごろです。朝はずいぶん冷え込むようになって来ました。天気は上々。奈良公園の紅葉は、日に日に色を深めているように思います。

そんな時、演奏会のたよりが、寄せられてきます。26日には、「くらしにちょっとクラシック音楽!の会」が主催する音楽会。2時から大和郡山城ホールで、2台のピアノで2人のピアニストによるデュオの演奏です。そして、パーカッションとピアノの演奏。最後にバッハ、モーツァルト、プーランクの3人が、2台のピアノのための協奏曲を残しているそうですが、その作品を、奈良フィルハーモニーオーケストラをバックに演奏されるというものです。いろんな異業種の人のバックアップで演奏会を続けている会です。

実は、わたしも2,3年前からその会のお手伝いに参加しているのですが、いろんな業種を超えて、人間関係は広がりますし、なかなか楽しいものです。コーラスも同じことが言えます。中年以降、仕事だけの人間関係は深まりませんし、むしろ、減っていくことさえあるようです。そんな中、趣味は、人間関係を広げるようにも思います。

2005年11月18日 (金)

2011年ラグビーW杯

サッカーに押されてか、あるいは、国際的な試合で大敗を喫するゆえか、このところ、ラグビーに対する関心がうすいようだ。2011年のラグビーW杯が、日本でおこなわれるなら、久方ぶりに盛り上がりを見せるであろうと、期待を寄せていたところだった。

が、残念ながら、ニュージーランド開催が決定したというニュースだ。そろそろラグビーシーズンに入り、外人コーチの就任など、ジャパンのニュースが新聞にも登場したり、社会人リーグの様子が伝えられるのだが、あらためて残念だ。

秩父宮ラグビー場に、早稲田のラグビーを応援に行ったり、花園ラグビー場へ高校ラグビーを見に行ったり、社会人ラグビーを応援したり、オーストラリアではワラビーズの迫力ある試合をみたりしたが、すこし、日本と世界の強豪との溝が広がっているようだ。

接触プレーゆえ、体力差がでるとか、いわれるが、ラグビーはおもしろいスポーツだ。サッカーに負けず、ラグビーの盛り上がりを期待したいものだ。

2005年11月17日 (木)

紅葉

ことしの、紅葉は、遅れていると、テレビでは伝えている。12日から15日くらい遅れているらしい。11月も後半となったのに、コートを着ている人はたまにしか見ない。それも薄いコートだ。

近鉄電車にのって、宙吊りポスターをながめると、紅葉の大仏殿と、これまた紅葉の京都清水寺が紅葉に囲まれていて、コピーは、「染まり行くなら、きょう色づいて」であった。

京都の付属物と見られがちな、奈良ではあるが、セットしてPRしたり、いろいろ協力していく必要があると思う。電車で35分であり、JR快速も早い。京奈和自動車道も、京都-奈良間はずいぶん良くなった。

2005年11月16日 (水)

食べ歩き???

近頃気になることがある。というのは、若い人だけでなく食べ歩きする、中年の人が実に増えたことだ。以前は、中年シルバーはそういう食べながら歩くということは、はしたないという意識があったように思う。そして、コンビニでカップ麺を買って、あちこちにすわりこんで、食べる若い人もあいかわらず多い。普通の電車の中でも、パンやおにぎりやお菓子を食べる人も増えた。以前、長距離列車でしか見かけなかった光景だ。

そういうことに気になるのは、どうなのだろうか?奈良の町でも、「食べ歩き出来ますよ」
といって、それをすすめて売っている。おまんじゅう類や、みたらし団子、スティック型のかまぼこ、などなど。ソフトククリームしかり、ジュース類しかり。

歩きながらタバコを吸ったり、吸殻を捨てることには、禁止措置が働く方向だが、果たして
いまの、食べ歩きは、マナーとしてどうなのだろうか?まちのゴミが増えているし、路面が
よごれるし、子供に大人が示せるマナーなのだろうか?とつい思うのだが、果たしてどうなのだろうか?

2005年11月15日 (火)

北川前三重県知事

14日は、奈良市で、北川三重県前知事の講演会がありました。話題の人です。予約を入れて、聞いてきました。気をつけてみると、奈良でもなかなか良い講師を呼んだ講演会が開かれています。そしてきょうが、そのひとつです。

いわく、北京の蝶々がひとつひとつ羽を動かした風が、大きな風となり、アメリカのハリケーンとなる。という話から、県会議員から、衆議院議員のころの話。陳情、補助金申請の話。知事、市長、町長から村長まで、補助金申請であり、それをさせていたのが、県民、市民ではなかったか、とのこと。当方にはまったく実感はないのですが、それが、官官接待であり、補助金申請であり、それが積もって、国の借金の700兆あまり地方とあわせて、1000兆円の借金になっている。みなそろそろわからないと、大変なことになる。そういう政治を選んだのも県民市民である、といったお話。そして、着任早々から8年間の三重県知事の頃のおはなしでした。

そして、三重県知事時代の、優秀な職員幹部に、発想をかえるということにかなりの精力をつかったこと、など力説されていました。

終始、変わらねばならない奈良が変わるには、きょうの集まっている人がそれぞれに変わらなければと強調されていました。奈良が変われば、三重も変わり、大阪も変わる、日本も変わると結ばれていました。なかなか奈良のひとにとって刺激的なおはなしであったと思います。そして、私自身にも、早稲田の先輩からの大きなメッセージでありました。

2005年11月14日 (月)

奈良の歴史

11月14日、朝刊各紙は、明日香甘樫丘東麓遺跡は、曽我入鹿の邸宅跡か。建物群や焼け土、日本書紀の記述に迫る。など、曽我入鹿の邸宅跡ということで、一斉に大きく報じられています。歴史の教科書でも、「大化の改新」でよく出てきましたし、飛鳥寺のそばには入鹿の首塚が伝承されています。

奈良から全国に報じられる情報の、最大のものが、発掘であり、文化財のことであるようです。それほど、地下には遺構が残っているといるということでしょう。それは、古代へのロマンという点で、大いに関心を駆り立てられるできごとです。

その半面、奈良は、中世、近世もすばらしい歴史があるのに、古い物の方に力が入れられがちだ、と警鐘を鳴らしておられる識者もおられます。わたしも、現代との直接的なつながりのある、昭和、大正、明治、江戸、桃山、室町といった、歴史のさかのぼり方が、奈良の場合弱いのではないかと思います。

奈良は、奈良時代までが大事なのだという、切り捨て方より、その古い時代からのすべての集積が奈良なのだという捉え方をしてもらいたいと思います。そして同時に、新しいこれからの時代における、歴史とのかかわりという視点が大切だと思います。

2005年11月13日 (日)

奈良デザイン協会20周年

秋晴れの下、奈良デザイン協会の20周年記念シンポジウムがありました。奈良の観光について、荒井正吾参議院議員の基調講演があり、パネルデスカッションがあったのですこし、聞いてきました。

やはり、奈良の町を東西に分断する平城宮跡をどうするか、は大きな問題ということを多くの人が思っていることがわかりました。西大寺の駅をどうしたら良いか、荒井議員が中心になって絵をかいてプランを描いておられること。平城京、奈良の都ができて1300年ということは、あと4年余りで平城京の誕生日であること。そこで、平城宮跡で半年くらいお祭りを考えておられるのであるが、平城宮跡は国の文化庁の管轄であり、その許可をいただかないと使えないということであった。
1988年のシルクロード博覧会は、平城宮跡のほんの一部しか使えず、多くは奈良公園で開催された。こんどは、何とかなるかもしれないというニュアンスであった。奈良の町にとって、木簡がうずもれているということで、なかなか手もつけられず、あと100年も利用されず時間のみかけて発掘をするだけというのはまったく何をしているのかという気がします。なんとかプラス活用をしてもらいたいものです。そして、世界遺産であり、国民の財産である平城宮跡は、朱雀門、そしてこんど大極殿が復元されていくとはいえ、せっかく地元の人の協力で買い上げた広い土地の多くを草ぼうぼうにしておくことが、保存ではないと思うのですが・・・。

20周年をむかえた奈良デザイン協会のhpは以下のとおりです。
http://www.mahoroba.ne.jp/~nda/

2005年11月12日 (土)

「孫はかすがい」

正倉院展も14日まで、かなりの入館人数を新聞はつたえている。夕方5時ころ入館した知人は人が少なくなっていて、よく見ることができたとも、いっていた。通りでは昨晩の雨で落ちた、たくさんの濡れ落ち葉が早く起きた人の手で、路面の一角に集められている。

さて、「孫はかすがい」というのは、新聞で見かけた、ある住宅メーカーの広告の見出しだ。普通、「子はかすがい」というが、「孫はかすがい」というのは、たぶん作られた言葉であろうが、なかなか、言いえて妙だ。そもそも、かすがいは、「金」偏に「送」と書き、建築の言葉だ。追い討ちをかけるように、「老いる姿を孫に見せるのも、大切なことではないだろうか」といった意味の言葉を添えている。

2世帯住宅をつくらないか、という広告であるが、なかなかうまいコピーだと思った次第。

2005年11月11日 (金)

奈良ホテル

奈良公園の春日大社の一の鳥居をさらに荒池にはさまれた道を南に歩くと、池の南西方向に奈良ホテルが見える。明治42年につくられた、日本のクラシックホテルのひとつである。本館は総桧作りのりっぱな建物だ。戦後は一時進駐軍にも接収されていたことがあったという。今の天皇陛下皇后陛下が結婚され奈良にこられたときはちょうちん行列で大変な騒ぎであったことをおぼえている。夜混雑のなか、池に落ちて助けられた子供もいたようだ。

ホテルには、なかなか有名な芸術家の作品が随所に飾られ、和風の中に洋風も取り入れられた、ホスピタリティの高いホテルだといえると思う。食事だけも良いし、喫茶だけでも訪れるのに良いスポットだ。

HPの案内にはつぎのようにあった。公式HPのアドレスも以下のとおりです。
「明治42年創業!伝統を誇る憧れのクラシックホテル!!
鹿が群れ遊ぶ奈良公園の高台に位置し、若草山、興福寺五重塔や名勝旧大乗院庭園などを四季折々の彩りと共に一望。テレビの撮影等で度々登場するこのホテルは老若男女かかわらずの人気ぶり。憧れの一軒!!
最寄駅: 近鉄奈良/奈良
奈良ホテル 
住所: 奈良県奈良市高畑町1096
電話0742-26-3300
http://www.narahotel.co.jp/main.html

以下は1997年に書かれた「クラシックホテルズ」から

平城京の雅を今に
伝えてくれる古の館
奈良ホテル 奈良ホテルは明治42年10月、関西の迎賓館として熱い期待を受け開業した。

 設計は明治建築界の大御所、辰野金吾(日銀本店や東京駅を設計)、片岡安、工事監理は河合浩蔵、施工は鉄道院で当時としては超一流のものであった。

 建設費については、計画時に5万円であったものが、最終的には35万円にもなった。かの「鹿鳴館」の建設費が18万円だったことをみてもその絢爛豪華さがしのばれる。

 奈良ホテルの数ある特徴の一つとしてメインダイニングルーム、本館宴会場、本館客室廊下の広さなどにみられる空間を贅沢に使った造りがある。「天井が高く、圧迫感がなくて気持ちがいい」というお客さまの声が多い。確かに現代のシティホテルではあじわえなくなった空間がここにはある。

 90年の歴史を一瞬に感じることが出来るこれらの諸設備の維持管理には、創業以来連綿として引き継がれてきた施設管理担当者の医師の回診を想わせるようなきめ細やかな館内外の巡回が大きな役割を果たしている。

 また、奈良ホテルといえば「皇室のご利用になるホテル」というイメージが定着している。「昭和天皇、皇太后をはじめ天皇、皇后、皇太子、同妃殿下と皇室関係の御来寧の栄誉に浴しており、大変名誉であることは当然のことながら、諸準備を遺漏なく済ませ、お迎えさせていただく何とも言えぬ緊張感を経験できる従業員の喜び。お出立の際に頂戴する感謝のお言葉は生涯忘れ得ぬ感動となってそれぞれの胸に残る」という。

 ヘレンケラー、リンドバーグなど歴史を作った様々な人々を迎えてきた奈良ホテルは、本年88歳を迎え、創業以来はじめて本館の屋根瓦を全面葺き替えし、それに伴い客室、内外壁などをリニューアルし、創業当時を彷彿とさせる姿となった。

 また、本年10月1日には、奈良ホテル直営の「奈良公園聖ラファエル教会」がいよいよオープンする。建物は周辺の景観にマッチさせ、特に本館とのバランスから木造とし、内部は杉の磨き丸太の柱と梁材の骨組みをそのままとした新鮮でドラマチックな空間構成となっている。ステンドグラスは英国ウェールズ地方の教会のもの、パイプオルガンは19世紀の有名なオルガン製作者フレデリック・W・ニコルソンの手によるヴィクトリアン調のもの、その他の備品類も直接英国から調達するなどすべての面で「奈良ホテル本館」に位負けしないように本物志向にこだわった。

 このように本年は奈良ホテルの長い歴史を飾るにふさわしい年となろう。

 創業88年にして、ある意味で生まれ変わった奈良ホテルは、奈良公園の静かなたたずまいの中で創業100周年に向けて再び確かな足どりで歩み始めたところである。

(1997年記)

2005年11月10日 (木)

あるく奈良

ある会合に出てきました。この夏から計画され研究されていた、「あるく奈良」の中間報告会です。奈良は歩いて味わうのに良い町です。そもそも「奈良は、車のない時代からの町だから、歩くにふさわしい町だ」という説明で、なるほどと思いました。

「Morning walk in NARA.」とまず、「美しい奈良の朝を歩いて、新しい感動との出逢い再発見!」というわけです。
奈良公園の4コース、、奈良まちの3コース、平城宮跡の3コース、がお勧めコースです。

来年1月15日には、市民も参加した歩き初めの催しも開かれる予定です。

紹介するHPも以下のように出来つつあります。(一部工事中)奈良の朝の散歩、ぜひおすすめです。

http://www.nara-rotaryclub.com/aruku-nara/

2005年11月 9日 (水)

健康で長生き

友人の親の訃報がこのところ多い。が、いずれも、80才台、90才台の大往生。最近までお元気な姿に接したり、お元気な様子を伺っていた方々だ。ご家族、みなさんに囲まれて、そしてご本人も、最後まで生きぬくことにつとめられたように思う。

一方、「人間長生きだけではだめだ、健康でなければ長生きなんて、他人に迷惑をかけるだけだ」と、親たちの晩年に苦労した方は、いわれる。それもしかりだ。人間、1度はかならず死ぬということでは、すべての人が平等だ。しかし、そのひとのゴールはわからない。いつまでも元気で健康ですごしたいというのは、ひとの心理=真理だ。

書棚をみると、京大名誉教授の大島 清さんの本が眼についた。グーグルで検索すると、良いページをみつけられた。紹介します。

http://www.yurindo.co.jp/yurin/back/396_1.html

2005年11月 8日 (火)

地図 MAP

あいついで、友人から、おもしろいMAPがあるよ、と紹介してくれた。
ある友人は、この地図をみていると、人工衛星に乗る必要がないよともいう。

かつて、地図を見ると、地形がわかりそこで生活する人が見えてくるものだ、
と教わった。あちこちの、縮尺の大きな地図、詳細な地図、どれもがおもしろい。

地図が、統制されて見られなかった時代もあったという。伊能忠敬が歩いて測量した時代もあったという。
今は、衛星や航空写真やいろいろな技術を駆使して、便利な地図を提供されている。

まだすこししか、見ていないけれど、ヘリコプターや飛行機から見るような、MAPだ。
グーグルのMAPは以下のとおりです。

http://local.google.co.jp/

2005年11月 7日 (月)

ブログ

先日、日経新聞にブログに対する5か条が書かれていた。会社のPCなどを使わないことや、あまり有名な人以外は固有名詞を書かないことなどであった。

中でも、ブログを書くことは、いわば手帳の中味を見せているようなものだ、という一節もあった。が、良しとしよう。見られても良いことを書けばよいのだからと思い直した次第だ。

そしてコメントをつけてくれる人はどこからたどり着いた人なのだろうか?インターネットの海の果てしないひろがりが感じるこのごろだ。

2005年11月 6日 (日)

自転車

レンタサイクルに乗って、奈良のまちを走っている観光の人たちも良く見かけるようになった。市役所などでもパーク&バスライド、サイクルランドなどを、10月11月の日・祝日しているそうだ。臨時駐車場から、バスやレンタサイクルに乗り換えるそうだ。

まだまだ十分ではないようだが、大和路は自転車で走るのがこの時期気持ちの良いものではないだろうか?渋滞気味の自動車を横目に、むろん、事故には注意しながら、走るのは爽快ではなかろうか。

高校生のころ、乗り物は自転車しかなかった。自転車に乗れば、どこまででも行けるものだと思ったものだ。京都へは奈良から40キロ、片道2時間半の道のりであり日帰りにちょうど良かった。奈良盆地1周も50キロくらいであったろうか、快適な道のりであった。お寺やユースホステルに泊りながら13日間のり続けて友人と北九州市まで行ったことも良き思い出だ。今は道路事情がわからないのであるが、自転車は快適な乗り物であることは確かだ。友達連れで、明日香あたりもあちこち見学するのにもレンタサイクルが快適であった。もっとも、自転車のペダルを踏む基礎体力が必要だと痛感する今日この頃だ。

2005年11月 5日 (土)

奈良町

奈良町という言葉は、古そうだが、わたしがはじめてきいたのは、26年ほど前の奈良地域研究会のチラシからであった。その後、古い地図をみると、添…郡奈良町とあったようにも思うのだが、さだかではない。が、ほろびつつあった、ふつうの古い住宅街、奈良町にスポットをあてた、建築家や町づくり家というのだろうか、若者の一群がいたことを、おもいだす。元興寺の一角での、展示会が始めての出会いであった。

あれから、26年たつという。なんでも壊してしまい新しく作るというのが、当然のように語られた時代であった。あのときの行政や産業界は、成長という名の、スクラップ・アンド・ビルド至上主義であった。アメリカでもそうなのだから、ということばが妙に説得力のある、問答無用の正義であったのではあるまいか。日本は、戦後、復興、所得倍増、高度成長、そして技術や勤勉を裏づけにした向上心が、国民一様にあった時代ではないだろうか。

そんなとき、公害やらいろんな諸問題にぶつかった、若者たちが、奈良の良さのひとつとして、ほろびゆく、奈良町に、注目したのではなかったろうか?そのときの、世代を超えた、やり取りの末、いま、奈良町が、補助というテコ入れもうけいれつつ、保存され古い景観を保とうとしている。そして今、多くのところで無くしてしまった、かつての日本をみつけるべく人は訪ねて来るのではないだろうか。人々によって積み重ねられた歴史が、文化ではないだろうか。かつて観光というと、物見遊山、というのが通り相場であるが、いや、「文化や歴史を観光する」それが奈良への本来的な観光ではないだろうか。
奈良町の説明HPは以下のとおりです。
http://www1.sphere.ne.jp/naracity/j/naramachi/w_nmachi00.html

2005年11月 4日 (金)

奈良県代官山iスタジオ

奈良県の出先が、東京の代官山にあり、以前は渋谷寮として使われていた建物を
奈良県代官山Iスタジオとして、首都圏の人に奈良文化への理解を深めてもらおうして
この秋からオープンしたという。
そしてこのほど旧知の奈良桜井の多武峯の談山神社禰宜の、上出久尊さんの
講演などがあったと新聞では伝えている。
東京にすむ友人も、オープンの日の様子を伝えてくれた。
ようやく首都圏で首都圏の人に、奈良の情報発信できるスペースができたことで、
早かれ遅かれ大きな役割を担うことを期待したいと思う。
奈良県代官山Iスタジオ
〒150-0021
東京都渋谷区恵比寿西1-36-10 03-3461-5550
http://www.pref.nara.jp/tokyo/i-studio/

2005年11月 3日 (木)

文化の日

今日は文化の日。いつも天気がよく、天気の特異日だといわれるが、たしか昨年は天気が悪く、ことしはやや曇りだ。近頃休日が良く動いてハッピーマンデーとかになってまぎらわしいが、11月3日は動かない祝日の一つだ。かつて、年配の人が良く、この日を明治節だといっていたので調べてみると確かにそうだ。
「明治節(めいじせつ)は、かつての祝祭日の中の四大節(紀元節、四方節、天長節、明治節)の一つ。新暦11月3日。旧暦9月22日。明治天皇の誕生日で、1927年制定。1948年廃止。 現在の「文化の日」はこの日である」と説明があった。

きょう朝9時過ぎ、奈良国立博物館あたりを通ると、たくさんの人が入館を待って並ばれていた。きょうあたり、ずいぶん混んでいることであろうと思う。県文化会館では、3日から6日まで第2回奈良名作映画祭が始まるようであるし、なら工藝館では「奈良工芸フェスティバル」だそうだ。また明日4日から6日まで現在平城宮跡に建てられている第1次大極殿正殿の特別公開とのこと。いろいろな催しが盛りだくさんな奈良の11月だ。

2005年11月 2日 (水)

まちかどの展覧会

きょうは全国的に秋晴れとラジオで伝えられていますが、奈良の空も雲ひとつなくという表現のとおり、さわやかでおだやかな秋晴れです。朝、商店街を歩いていて、今いろんな会館やギャラリーで、展覧会がおこなわれていますが、ふとその展覧会のひとつに入りました。秋はいろいろな形容詞で語られますが、芸術の秋もふさわしい表現だと思います。いろいろなものが実る季節だからでしょうか。秋の日差しを紅葉しつつある、木々のあいだから感じるのも気持ちのよいものです。その展覧会は、奈良公園のあちこちを多く描かれた水彩画がならんでいました。「奈良公園はほんとうにたくさん描くところがありますよ」という話し声も聞こえました。水彩画で実にうまく濃淡に遠近をつけられた、すがすがしい展覧会でした。

当方の店の2階のギャラリーも奈良シルクロード博覧会の年、1988年にはじめましたからはやくも18年目になります。とくに春秋など当方でも企画したり、あるいは借りていただいてつぎつぎと展覧会をしていただいています。いまは、じゅうたん展であり、4日から、油彩と日本画の母娘展をしていただきます。大いに楽しみな展覧会と期待しています。奈良公園や社寺、博物館や美術館のすばらしさに隣接した奈良の中心市街地に、いろんな展覧会のスペースがあったり、楽しめるスペースがもっとできていったら良いのではないかな、と思います。

2005年11月 1日 (火)

多忙と多用

11月になった。今年も10ヶ月を過ぎあと2ヶ月となった。早い。がそもそも1年は皆平等に365日しかないのだから、早いものだと思ったほうが良いと思う。先日来、本屋を何回か訪ねて、今使っているのと同じく2年先までの予定を書き込める真新しい手帳を手に入れた。2年先の曜日などがわかって、使い勝手が良い。

中学のときの国語の授業で、人に手紙や案内を書くとき、「多忙」は良くない、「こころを亡くす」という意味であるから、「多用」と書きなさいといわれた先生の言葉を不思議に覚えている。

「忙中、閑あり」という言葉もある。忙しさの中に、ほっと一息つく時間をたいせつにしたいと思う。まとまった余暇はとりにくいけれど、REーCREATEをこころがけたいと思う。

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