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2005年10月31日 (月)

創造都市

29日の土曜日は雨が降っていましたが、30日の日曜日、そして本日31日奈良は秋晴れで、奈良国立博物館の正倉院展はじめいろんなところで、たくさんの人でにぎわっています。

さて、ある会合で、大阪市立大学教授の佐々木雅幸氏の「創造都市」というおはなしをうかがいました。日本では金沢市や横浜市で実践されているようです。最近有名な金沢21世紀美術館や金沢市民芸術村や古い町並みの保存など・・・。金沢在住のころから、お手伝いされてきたとのことです。

イタリアのボローニャの町のこともいっておられました。イギリスではグラスゴー、フィンランドではヘルシンキ。都市の色と形にこだわるとのことです。

以前は、工業やインフラ整備が社会の発展につながるという考えが当然視されてきましたたが、「21世紀は文化こそ産業の基盤だ」ともいっておられました。うまく伝えられませんが佐々木先生の「創造都市への挑戦」という下記のHPをご覧下さい。そのあたりに、奈良の町の参考になるのでは、そしてそれは奈良の人たちで考えてくださいといっておられました。

http://www.creativecity.jp/

2005年10月30日 (日)

入江泰吉さんの新しい本

東京の友人から雑誌が送られてきました。「ヤナセライフ・プレジール11-12月号」というベンツの愛用者のための雑誌のようです。ちょうど入江泰吉さんの写真展見に行ったばかりですが、雑誌には、8ページにわたって「入江泰吉の撮った奈良大和路」が載せられています。すばらしい写真ばかりで、また文章もよくわかるものです。

そして最後に「入江泰吉[愛蔵版]大和路巡礼」の本の紹介が載っていました。
「古代史の舞台、万葉の故地、仏教美術伝来の地・・・・。奈良大和路のさりげない景観に漂う余情を写し取り、「滅びの美」を謳いあげた入江泰吉。生誕百年を記念して、代表作141点を収録した大判写真集。戦後から約半世紀にわたって撮り続けた写真家の作品世界のエッセンスを凝縮、日本人の心のふるさとといわれる大和路の風景と仏像の魅力を堪能できる一冊です。」と。小学館、本体価格は9500円。

早速アマゾンで探すとまだ登録されていない様子。再び紀伊国屋WEBで探すとありました。さすが早い、4日の内に手元に到着予定。おまけに5000円以上の本は送料無料とのことでした。無論近くの本屋さんにも順次入荷することでしょう。ご紹介がてらPRする次第です。

2005年10月29日 (土)

10月もあとわずか

10月もあとわずか。秋を感じさせる、おまつり、イベント、展示会、演奏会が目白押しです。ところが週末このところ天気が悪いことが多いようです。NHKの天気のお姉さん、半井なからいさんも、申し訳なさそうにその理由を説明していました。

また本屋に行けば奈良特集の本もにぎやかに並んでいます。あたらしい若い人向けの特集には、新しい店が紹介されていて、地元の人がまだ知らなくて行かない店を特に選んでいるような傾向があるようです。 サライとSAVVY別冊は好対照です。すこし年下の友人は2つをくらべて、SAVVY別冊の方が好きだといっています。当方は、SAVVY別冊の方が知らない店がたくさんあって知る情報としては多いかもしれないけれど、サライの方がじっくり取り組んでいて奥深く、奈良をとらえているような気がします。見方はいろいろですから、本屋さんで手にとって見るということが良いと思います。

奈良写真美術館でも、入江泰吉さんと土門拳さんの大和路の写真をそれぞれ対照的に、今展示されています。先日ようやく見に行くことができました。同じ被写体でも、対照的です。見る人の好みもあるでしょうし、写真によっても受け取り方はちがうのではないでしょうか。2人の巨匠の大和路、見に行く価値は十分にあるおすすめスポットです。入江泰吉誕生100年「大和路を愛した巨匠―土門拳と入江泰吉二人展」

2005年10月28日 (金)

正倉院展

戦後昭和21年に開始された、正倉院展は、ことしは57回目。この10月29日から11月14日まで、奈良国立博物館で開催されます。博物館の工芸考古室長のお話を聞く機会がありました。

ことしは、動物が多く登場とのこと、鳥や鹿などが図案化されたものなどが、数多く出品されるそうです。また、聖武天皇のご愛用の碁盤や碁石が目を引きます。ファンにはたまらないものでしょう。他には、螺鈿の鏡、大刀、など、たくさん展示されるようです。

どのようにしたらよく見えるかという質問に対して、時間は4時以降がおすすめ(6時まで見ることができます。金曜日は7時まで)とのことです。そして、陳列順序はそんなに気にしないで、すいているものから見ていくこと、特に団体のうしろにはつかない方が賢明との事です。私の経験では遅い時間帯は、ガラスが汚れていることがあるので、ガラス拭きの布をもって行くのが良いと思いました。

ことしは、読売新聞が協力になったので、いろいろ案内を熱心にされています。以下のhpも参考になります。http://osaka.yomiuri.co.jp/shosoin/index.htm

先月から、その正倉院御物を模した品物ができないか、ということで、商店街の皆さんにも打診したところ、急なことで、なかなか出来にくかったのですが、8店が新商品をつくり、会期中の限定で販売することになりました。当方の店でも、窯元に特別につくってもらいました。よかったら、HPをご覧下さい。よろしく。http://homepage2.nifty.com/matsumori/

2005年10月27日 (木)

阪神敗れたり

ソフトバンクにつづいて、日本シリーズで阪神も、シーズン・パリーグ2位のロッテに敗れた。ロッテが「日本一」だという。たしか昨年もパリーグ2位の西武が「日本一」だった。何か変ではないだろうか?いくらプレイオフがおもしろくて、興行成績が良いからといって、これでは日本一の意味がない。実戦から遠ざかる、この1位チームに不利な制度は、ますます野球離れをおこすのではないだろうか。

阪神は、シーズン中の勢いはまったくなく、10点も取られた試合が3つ、そして最終試合はなんとか1点差の接戦にはもちこんだものの、すでにシーズンオフのチームの様子であった。早や、トラも冬眠しつつあったのだろうか?それにしても、シーズン中から一時的にはロッテも強かった。今江という選手の爆発力は、シーズン中からもうかがえた。が、ロッテの「日本一」には、異議ありだ。

まあ、シリーズには負けたが阪神には、来シーズンでの2連覇を期待したいものだ。シーズンを通して130試合以上やったセリーグの優勝の価値は落ちるものではない。そのあたり、ひいきの引き倒しにならないように、阪神ファンは自制したいものだ。

2005年10月26日 (水)

船旅

先日、もと世界1周で有名な、豪華客船「飛鳥」のもと船長、いまも運営に携わっている方の講演をきいた。三好達治の詩にこんな一節があるそうだ。「海(昔の母の字がある海)の中には母があり、フランス語の母MEREの中には海MERがある」そして船旅は良いものだ。

100日間の船旅の、世界一周は、平均年齢70才、一周して下船の頃には、いろんな成人病の数値はすっかり良くなっている人が多いそうだ。海の水と血液の塩分の成分比率は同じ、母の胎内の羊水も海と同じ比率。まちがいなく、人類は海から生まれていると。

西方向に進むほうが、1日の時間が長くなり、からだも楽だそうだ。そしてどこかで1日がなくなるそうだ。そのない日に当たる日に、誕生日を迎える人はその年は1才年をとらないとか冗談も交えながら。

日ごろ、「海なし県」にすごしているわれわれだが、朝に夕に太陽を眺める船旅を想像しながら、心豊かになるおはなしであった。

2005年10月25日 (火)

興福寺

先日、新聞を読んでいたら、奈良市の中心市街地に隣接する興福寺の伽藍が、中金堂や門の再建にとりくんでいること。門の石の基壇が出来上がったことなどを伝えていた。奈良の町よりすこし高台に広がる興福寺は、かつてはたいへんな勢力をもち、いまも五重塔、三重塔などがそびえています。奈良の遷都1300年を迎える、2010年(平成22年)は、興福寺の創建1300年にもあたるそうです。その年に向けて、いま多川俊映管主を中心に準備をされているそうです。
以下は興福寺のhpから。
「平成22年(2010)、興福寺は、創建1300年の大きな節目を迎えます。
和銅3年(710)春三月、平城京・左京三条七坊の地に造営された当山は、いま、創建当初の《天平の文化空間》を再構築するため、境内の整備事業に鋭意取り組んでいます。」

2005年10月24日 (月)

奈良女子大学

近鉄奈良駅の北200Mあたりに、奈良女子大学がある。国立の女子大では東京の御茶ノ水女子大と2つであると長らく言われてきている。現在は、国立大学法人と案内には書いてあった。そんなことからか、近年、地元と共存していろいろ研究しようと、大学の先生や大学院生、学部学生が、熱心に商店街のことや地域のことに取り組まれている。商店街のイベントにも参加いただき、またその企画段階から若いアイデアと行動力を発揮したいと申し入れを受けている。

そんな奈良女子大には、やはり重要文化財に指定された、りっぱな以前は講堂として使われてきた記念館がある。木造のこまやかな細工を凝らした建物だ。近頃、国産のピアノとして現存する一番古いのではないかと言われるピアノが倉庫から見つかり、いま、修理をほどこされているとニュースで聞いた。あと数年でやはり創立100年を迎えるにふさわしい話題だ。

敷地はかつて江戸時代は、奈良奉行があったところとも聞く。戦後学制改革のあったときもなかなかたいへんだったとも聞く。いま地域に開かれた大学として、多くの女子学生を集める奈良女子大学の今後に大いに期待したいと思う。

奈良女子大のHPは以下のとおりです。記念館は11月1日から7日まで一般公開するとのことです。

http://www.nara-wu.ac.jp/

http://www.nara-shimbun.com/graph/gra010624_house.html

2005年10月23日 (日)

まちの内外

ずいぶん今年は残暑がのこり、なかなか秋を実感できませんでしたが、知らないうちに山茶花が咲き、庭のさんしゅの実も赤くなり、はなみずきも実も葉も赤くさせてきました。天気予報でも大陸の寒気を語りだし、夜はずいぶん寒いくらいの涼しさになってきました。奈良公園のオスシカも角が切り落とされました。

しばらくぶりに、JR奈良駅前辺りに行くと線路の東にサンホテルがオープン間近であったり、三条通を行くと、100円の大型店が出たり、安いお菓子屋があったところと思われるところに落ち着いた雰囲気の和菓子店ができています。戦前からあったという桜井線をまたぐ奈良跨線橋も解体工事がはじまっています。

西のほうでは、高の原のあたりのイオン・ジャスコの工事の準備のためか、街路整備という看板が出て工事中であり、来年3月27日に開通を伝えられる大阪の地下鉄中央線の延伸が生駒から登美ヶ丘まで工事が急がれているようです。最近聞いたところでは、その登美ヶ丘駅あたりには、またもやイオン・ジャスコがつくられつつあるとか。奈良県も、福島県のような大型店の出店規制の条例を、つくるべきではないでしょうか。

先日、大阪天神橋筋の商店街の会長である陶器屋さんの土居年樹さんの講演を聞く機会がありました。商店街はまちを長年守ってきている、「街商人まちあきんど」であり、文化や伝統の担い手なのだ。商業力では大型店に負けても、人間力で勝っているのだ。このごろ日本はいろいろおかしいことが多すぎる。といったお話でしたが、大いに共感するものでした。また本も書かれています。東方出版「天神さんの商店街」-街いかし、人いかしー1700円

2005年10月22日 (土)

日本聖公会 奈良教会

先日奈良の東向き商店街を歩いていると、ちょうど、教会の入り口では、イギリスからの聖歌隊のコンサートの始まる時間を告げていたので、すこし聞いてきた。奈良教会は、興福寺に隣接した日本式の木造の建物である。空から見るとちょうど十字のような建物だと、古賀先生は説明されている。県の文化財にも登録された立派な建物である。

パイプオルガンがあり、大人から子供まで一緒になった聖歌隊がつぎつぎと教会音楽を歌う。場内は、いすに座れないで、床まで人が座り、これまた大人から幼稚園児くらいまで集まり満員であった。

教会には、親愛幼稚園が併設され、教育や宗教活動のほか、落語会や、バザーや音楽会や、音楽などの練習場所にも提供され、また地元商店街の花見会など、開かれた教会活動をされている教会です。商店街から見上げる高台には、和風の教会と、興福寺の南円堂の屋根があいならんでいます。

http://www.nara-shimbun.com/graph/gra011216_house.html

2005年10月21日 (金)

奈良ドリームランド

奈良市北部の通称黒髪山といっていた、戦後米軍進駐軍将校のキャンプであったところに、1961年奈良ドリームランドはオープンした。モノレールがありホーバークラフトというすこし空中に浮かびながらうごく乗り物もあった。まさにドリーム夢の世界があるように思われる新しい遊園地であった。外周には弁慶号であったか、汽車が走り、アメリカの映画でみるディズニーランドのようなところであった。

あれから、44年、夏はプール、冬はアイススケート場などさまざまな施設も加えて運営されていたようだ。途中経営がダイエー系に移りどうなることかとすこし案じていたところもあったが、きょうの新聞によれば、11月24日に不動産会社に売却とのこと。

産業再生機構のもと再建を急いでいるのか、いないのか、JR奈良駅前のダイエー奈良店の11月20日閉店と肩をならべるごとく・・・・。ドリームランドの営業の方は、当面いまのように継続するとのことだが、早晩どうなることか大いに案じられるところだ。もし閉鎖になれば、あやめ池遊園地に続く遊園地の閉園ということになり、まさに奈良市はいろいろな意味で結節点に立っているという象徴的出来事だ。

2005年10月20日 (木)

旅の人とのちょっとしたやりとり

奈良のまちかどを歩いていると女子中学生が5,6人ほど地図を上に向けたり下に向けたり、話し合っていたので、すこし行き過ぎたのだが戻って「どこへ行くの?」と聞いてみると、元興寺へ行きたいのだとの返事であった。ちょうどその方向へ途中まで行くので「この先の信号を越えて50メートルいって右側ですよ」と説明して、一緒に歩き出した。

「どこからきたの?」と聞くと「和歌山市から日帰りでバスで社会見学にきました」とのこと。つい聞かれもしないのに、説明するとおせっかいに思われることもあるし、年頃の女の子と話するのも昨今ではへんなおじさんと言われかねないので、なかなかむつかしいのですが、彼女たちは「奈良の人は親切やなあ」といってくれました。そして途中出あった友人には「きょうは先生か」とひやかされもしましたが・・・。

知らない町で、地図を持っていてもいちばん肝心なのはその方向を知ること、方向が反対にいったら、どんどんあてはずれにいってしまうのは経験から良くわかること。それが自然に「ありがとう」といってくれる中学生とのほんのささやかなやりとりではあったけれど、さわやかな奈良の秋空のもと、おたがいに気分のなごむものでした。

2005年10月19日 (水)

奉納演奏

先日、奈良・東大寺・大仏殿の特設舞台で、消失された大仏殿の再興などに尽力されたという公慶上人の300年御遠忌法要の締めくくりとして、守山俊吾指揮の関西フィルのオーケストラが響いた。堂内ではめったにないことだという。大仏様に向かって、奉納されたのは特別に作曲された、華厳音声「つくられたすべてのものへの賛歌」(林 昌彦作曲)であり、貴志康一作曲の竹取物語であり、交響曲「仏陀の生涯」より、であった。

日ごろ、夕方7時過ぎといえば、すでに暗く大仏殿は閉められ、大仏様はすわったままひとりやすまれる時間帯である。奉納ということで、800人くらいの人が演奏を聴くことができた。大きな空間は天井ははるか高く、ほんとうに得がたい音空間であったと思う。

2005年10月18日 (火)

スーパーいそかわの再生法申請!!

奈良県北部を中心に15店舗を営業している、地元スーパー「いそかわ」が民事再生手続きを申請して、「県内、今年最大の倒産」「負債総額50億円」「老舗スーパー集客力低下で」という活字が毎日新聞奈良版ではつたえている。奈良市の中心市街地にある近鉄奈良駅前の小西通りの奈良店はパケットに改装、鴻池店も最近パケットに改装したばかりだ。

かつてやすらぎの道の中央郵便局(現在、奈良市観光センター)の北隣に活気のある店いそかわがあった。そして小西通りに進出、もちいどののマインズが1983年頃オープンと同時に出店(数年前に退店)、鴻池のもと結婚式場の春日殿あとにも鴻池店ができたのをぼんやりと思い出す。

「競合店の相次ぐ進出で集客力が低下」とあるが、11月20日に閉店を決めたという「ダイエー奈良店」がなくなり、いそかわ、ビッグなら、中村屋など地元系が地域住民の「台所」として期待されていたところである。昨日の新聞で「つぶれたら困るからダイエーで買ってあげてほしいという」市民2人のアンケートへの答えも紹介されていた。安いからといって、つぎからつぎへと、買いに走る地域住民は、結局、大事な地元の店をつぶしていくことになっているのではなかろうか?昨今、市場の競争原理が一番正しいとの、論調が幅をきかせているが果たして、そうなのだろうか?

どこかでも読んだが、少しくらい高くても(仕入れ量が少なければ仕入れ価格は上がるのが通常だから)その地域になくなっては困るという、地域住民の支え、応援が、われわれはえぬきの中小零細店には欲しいと思う。

当面営業続けながら再建をはかるとの報道だが、地元のなくてはならない、「いそかわ」さんの再建を応援したいと思う。もしなくなれば、それこそ毎日の食料品を歩いて買いにいける店が、ますます減っていって果たして良いものだろうか?

2005年10月17日 (月)

ハワイのまちかどで

機会があって、ひさしぶりハワイ・ホノルルへ行ってきました。今月から、成田、中部国際、関空からの便しかなくなり、飛行機もなかなかチケットが取れないようでした。むろん行きも帰りも満席。若い人が、新婚旅行の人もあって、かなり多いようです。

ショッピングセンターも2ヶ所でかけました。1ヶ所はメイシーズがメインの地元型のようでした。アラモアナSCは、地元の人というより観光の人が多いのでしょうか?日本人をとにかく多く見かけました。郊外のアウトレットも1ヶ所でかけました。ここも日本人が多いようです。大きなスタイルのKマートもそれほど変わっているようにはみえません。

夜、ワイキキ海岸べりのまちかどを、何度も来ている友人に案内されてとにかく歩き回りました。夜遅くまでの営業。ホテルやブランド店、飲食店、そんなあいだにかたまったところにうまくスタンド式のフリーマーケットというのでしょうか、たくさんでていました。(別の女性陣は値切るのが楽しく店の人とのやりとりがおもしろく、連日でかけたそうです)人気の飲食店では順番待ちが多数ならんでしました。免税店も11時まで営業とありましたから、そんなに遅くまで町は起きているようでした。

朝、車でそのあたりを通ると昨晩の喧騒がうそのように静かな朝を迎えており、道路もごみがあまりないように見受けました。かつて南仏でみかけたように、かなり朝早く清掃されているのでしょうか?

あとで聞いた知り合いは、無料のバスチケットをつかって、ダイヤモンドヘッド近くまでいき、そこからホテルまで西のほうに、昼の時間をたっぷり使って時間を気にすることなく、ぶらぶらと歩き回ったそうです。そのまえにSCに入ったらピアノ演奏以外あまり魅力を感じなかったそうですが、ストリートはとても楽しくおもしろかったといっています。そしてそれを商店街ととらえられ、島の地元の商店街もこんな楽しい商店街になると良いなあ、と語っておられました。

ストリートを商店街と意識してはいなかったのですが、そういわれれば、安全で楽しく、いろいろな店の人がお客さんと触れ合っている様子、楽しませるハワイの人たち、そのあたりに観光地、リゾート地、「こころの観光地」、「こころのリゾート地」の魅力、秘訣があるのかもしれないと思ったことでした。

2005年10月16日 (日)

ならまちわらべうたフェスタ

きょうは、好天の日曜日の奈良です。いろいろな催しされていて、まちがざわざわしています。近鉄奈良駅からならまち界隈までわらべうたロードとして、わらべうたコンサートやら、スタンプラリー、人形劇、邦楽コンサート、竹とんぼや竹馬つくり、金魚すくいやどじょうつかみ、となつかしい遊びや、ぽんがしや、カルメラ焼といったなついかしいお菓子、お手玉つくりや遊びやら、いろんな催しが盛りだくさん。きょうばかりは、若いおとうさんやおかあさんにつれられた、小さな子供がたくさんあつまり、少子高齢化を忘れるにぎわいです。マーチャントシードセンターでは商店街の大福市が繰り広げられています。

2005年10月11日 (火)

つぎつぎ開店のお店

商店街に近頃、ながらく閉店同然状態であった、南の入り口のもとパチンコ店あとに、「SHOP99」という、100円生鮮コンビニがオープンした。(商店街取得とは別のパチンコ店である)地元スーパーの撤退などから、食料品の店が少なくなくなり、不便をかこっている地域住民には、評判も良いようだ。東京でも大阪でも見かけたチェーンで全国ですでに700店舗あるそうだが、奈良市で4店舗目だそうだ。本によれば、コンビニ系は「実験店」であり、個食化の消費スタイルに合わせた商品、生鮮品で引きつけ、加工食品でもうける、そうだ。アメリカでも歩いていける町から食料品店がなくなり、車でわざわざ買いに出かけなくてはいけない「食料さばく」ということばがあるらしい。そういう意味でも、歩いていける町に食料品の店は、必須の店といえると思う。

また新しく、アメリカ古着の店もできた。店主はときどきアメリカに直接仕入れに出かけるという。

近くには、犬と猫のための品をあつめた店もオープンした。

こういう商店街にしようというコンセプトが大切だという意見もある。地の店でなく全国のチェーンの店はおもしろくないという意見もある。が、ともかく、シャッター通りといわれたくないと思う。隣のお店もがんばり、商店街のいろいろなお店もがんばって営業し、お客さんをひきつけ、楽しんでもらう中にたぶん、歩いていける商店街の今後はあるのではないだろうかと思う。

閑話休題。アメリカンエキスプレス・チャンピオンカップのゴルフ最終日の最後を衛星テレビで見た。タイガーウッズが最終おいつき、デーリーとプレイオフ。良いショット、失敗のショットの応酬で、シーソーゲーム。これをいれたら勝つというパターをデーリーがはずし、さらに1ヤード未満のパターもはずし、タイガーの勝利。見ている方にはとてもおもしろかったが、ゴルフというスポーツは、なかなかたいへんな何かの縮図のようなゲームであった。

2005年10月10日 (月)

アイデアという井戸

テレビを見ていると、阪神大震災で家具が倒れて亡くなった知り合いの死がくやしくて、家業の呉服屋さんは家族に譲り、それを防止できる品を考え続けたという社長さんの話であった。良い品ができなくてやけ酒を飲んでいると、下に敷いた皿だろうかコップ酒にくっついて離れなかったのを見て、商品を思いついたという。見た目はぺたっとした柔らかいゴムのようなものだ。家具の下に、くっつけると震度7まで家具やら、花瓶やらもろもろが倒れないと、地震体験のセットでやって見せた。開発費もたいへんかかったという。見た目はたいした代物ではないが、効果抜群のようだ。そしてとてもよく売れているとのことだ。

また景品でマウスパッドをいただいた。純皮製である。表はとてもなめらかにパッドが動きストレスがないという。裏は机にぴったりつくざらざらの皮だ。2枚張り合わせてあるという。知り合いの苦心の作だ。

何気ない、日常の中からの発明。ともに伝統産業に携わっている人のアイデアというところにもひかれる話だ。

井戸は毎日くみ上げないと、きれいな井戸にはならないと、田舎育ちの知人から聞いた。アイデアの井戸も尽きぬことはないのであろうと思う。

2005年10月 9日 (日)

奈良町ぶらり

体育の日があって、3連休。初日はやや雨模様。町の中のしんあい幼稚園も運動会。御霊神社ごりょうじんじゃなど、あちこちの神社も秋祭りをまちかどのポスターが告げている。まちかどにも日ごろ見過ごしがちな小さな神社も奈良の町には数多い。かつて、奈良町ということばが、江戸時代を中心とした時代にあったらしいが、26年ほど前に、奈良地域研究会で、元興寺かいわいの古い町並みを、奈良町としてスポットをあてて以来、奈良町、ならまちということばは、すっかり定着したようだ。

現在東寺林町には、ならまちセンターという、奈良市の施設がある。300人規模のホールと会議室、図書館、市役所の出張所などがある。かつての、奈良市役所のあった場所でもある。最近移転した年をきいてみると、昭和52年2月、1977年、というから早や28年になるわけだ。(現在の市役所は、もと三笠中学校あとに建てられた)先日の通行量調査では、その52年から中心市街地9ヶ所の平均で通行量は30%ダウン。ひどいところで45%ダウン。最近奈良町をおとづれる人が増えたようで、ようやく下げ止まりといえるそうだ。

が、にぎわい、集客ということがどうしても大切だ。人が人を呼んでくれると言う言葉がある。人は群れたがるという言葉もある。もと・・・・であった、ということも歴史として大切なことだと思う。いまサンルートホテル奈良には、「もと尾花座ありき」という石碑が建てられている。

2005年10月 8日 (土)

サライ 奈良特集号

月2回小学館から発売され、人気がある「サライ」の「奈良、サライはこう旅する」、という特別号が今出ている。10月20日号であり、創刊16周年記念特大号1とある。全144ページ,丸ごと1冊大特集。昨年もすばらしい特集号が出されたが、今年もさらにすばらしい。3大特集として万葉の花咲く古社寺巡礼、大和「歴史街道」10コース。国宝仏像・時代別の見方。いろいろな食事の店、宿なども紹介されている。630円。

知っている店もあるけれど、知らない店やポイントもあり、奈良は奥深いと思う。載っていないけれど良い店ももっとあることはいうまでもない。

奈良は京都に比べて、出版などで発行、発信される情報量がとても少ないといわれる。そんな中にあって、サライのこの本はすばらしい。

2005年10月 7日 (金)

ならどっとfm78.4

奈良町の一角には、西新屋町にある古いもと米問屋さんの建物を利用した、奈良のローカルなFM放送局があります。昔の奈良町のうなぎの寝床のような奥深い家です。一番奥には蔵があり、BARにもなっています。オリエント館として、オリエントの古い美術品も以前は展示されていましたが、座敷はいまは喫茶コーナーとして自由に入ることができます。その一角に、ローカルな奈良市近辺のみしか聞こえない程度の微弱電波のFM放送局があります。

放送室は、古い奈良町を散策したり生活する人が見える部屋にあります。最近、放送局を見学する機会があり拝見してきました。アナウンサーとミキサーが向かい合わせになり軽妙なトークをされていました。喫茶コーナーではその様子を見ることもできますし、番組によっては喫茶コーナーにも流れているようです。奈良にも歩きながら聞くことができるラジオ局があったら良いのに、という声は以前からあったのですが、いろいろな工夫を重ねて、ボランティアの方の参加も得て放送されています。このたび、5周年を迎えられたとのことです。

奈良の町に来られたら、FMラジオを聞きながら、散策するのも楽しいかもしれません。もちろん、住んでいる人にはなおさらおすすめです。FM78.4メガヘルツ。Hpは以下のとおりです。http://www.nara.fm/

2005年10月 6日 (木)

「近説遠來」

「近き者悦びて、遠き者来る」と読みくだし、「論語」の小路編からきた言葉だということです。

奈良観光交流促進ワークショップ~観光とまちづくり~「まちづくりから生まれる観光と魅力」というテーマで会合が開かれたので、すこし聞いて来ました。東大の西村幸夫教授から「まちづくりとツーリズムの新しい関係」という基調講演がありました。観光から「観光まちづくり」への動き、まちづくりからも「観光まちづくり」への動きというふうになってきており、いままでのような、観光は観光、まちづくりはまちづくりと別々のものではなくなってきたこと。来た人にも1日生活者になってもらう。 訪れたいまちと住みたい町。五感で楽しむ。住みたい町はひとがうらやむ町。田舎もおもしろい。ロケーションをテーマにする。など等。

具体的に、城崎温泉、黒川温泉、湯布院、別府八湯めぐり、金沢東山お茶屋。田主丸、京都、高山、川越大正ロマン通り、などが具体例として映像をまじえて紹介されていました。

やはり、奈良のような十分な歴史的遺産をもち自然にあふれた観光地も、あたらしい魅力を磨きだし、同時に生活する人にとっても住みやすい町にする、「観光まちづくり」という視点が必要だという主張でしたが、たしかにそのように思いました。

2005年10月 5日 (水)

銀の卵

友人から、休耕田でコスモスをいっぱい咲かせた写真つきメールをいただいた。
さて、新聞を読んでいてふと見かけた言葉。「銀の卵」。かつて雇用する人が不足した頃の「金の卵」をヒントにしてできたものらしい。昭和22年から24年に生まれたいわゆる団塊の世代700万人に前後をあわせるとおよそ1000万人。全国の過疎の地域では、都会から「銀の卵」が帰ってきて人口増になることが、まず活性化の必要条件という。またいろいろ、帰ってくるような工夫がこらされているらしい。

今年が国勢調査の年であり、またたしか日本の人口のピークであるように伝えられている。高齢者人口も年々増えていくように伝えられている。国の勢いは人口にも比例するような論調も見受けられる。もっとも、岐阜県のように75才以上がやっと高齢者。65才くらいで高齢者というのは失礼!!ともいわれている。また一方、人口が減ることはそう悲観することでもないという論もある。若い人もかつてのようにいきなり「生めよ増やせよ」と言われても果たしてどうか?環境から考えると人口減はチャンスという人もいる。

そういった中、われわれ、団塊の世代は、いままでの老人ではなく、あたらしい世代の登場ではないかと言われている。元気な創造的なシルバー候補とも言われている。おだてられつつ健康に留意しながらすごしたいと思う。それにしても「銀の卵」とはおもしろいネーミングだと思った次第。

2005年10月 4日 (火)

JR奈良駅付近連続立体交差事業

あさ、町かどを歩くと、きんもくせいの薫りが気持ちよく薫りました。

さて、JR奈良駅付近連続立体交差事業ということで、JR関西線・桜井線の3つの自動車用跨線橋(通称 陸橋)が順次撤去されていくとのこと。まずは旧24号線の2車線の奈良跨線橋がこわされ、その後踏切2車線になるとのこと。
その後大森跨線橋がこわされ、これは通行止めになり、代わりに線路をくぐるかたちでつくられている三条本町線として2車線を確保されるようだ。

奈良市の中心市街地からいえば、西行きと南行きが完成までたいへん不便になり、渋滞も
予想される。また奈良市の中心部に入る南からと西からはたいへん苦労することになろうと思われる。それでなくとも、道が狭く走るにも時間がかかる、奈良市の道にここ数年さらに時間がかかると思うと、完成は目標2010年、奈良遷都1300年事業までたいへんだ。

一方、夏に京都ー奈良ー和歌山をむすぶ、京奈和道の、奈良市部分は地下方式で5キロほど進められるように報道されていたが、そのあとあまりくわしい情報は明らかにされていないのではなかろうか。

どこかで、「奈良は道路行政はあるけれど、まちづくり行政がない」といった話を聞いたことがある。道路もまちづくりも、寄り道できず待ったなしの状況に今の奈良はおかれているのではないかと思う。

2005年10月 3日 (月)

10月の奈良

10月1日は奈良市・登大路町の氷室神社の秋祭りであった。残念ながらおまいりできなかったのだが、春は、みごとな、しだれ桜が咲き、氷の神様で有名だ。すぐそばには、奈良国立博物館があり、今は閉館しているが日吉館がある。

昨日、静岡から知人のミドルの女性2人が奈良に日帰りで来られた。奈良市写真美術館の土門拳・入江泰吉二人展を見るためであり、奈良国立博物館の東京では見逃したという特 別 展 「遣唐使と唐の美術」9月20日(火)~10月10日(月・祝) (会期中無休)を見るためという。奈良はゆったりとしていいねー。との感想でした。

もうすぐ、県立美術館では「杉本健吉展」もおこなわれる由。10月29日からは、正倉院展も開催されます。10月9,10日、15,16日には鹿の角きりもおこなわれます。://www.naradeer.com/event01.htm
10月の奈良は盛りだくさんです。

2005年10月 2日 (日)

黒川温泉

「報道2001」のキャスターの黒岩祐治さんの講演を聞く機会があった。先ごろの総選挙の裏話の後、「マグネット力」ひきつける力というお話になった。熊本の黒川温泉が不便なところにあるにもかかわらず、マグネット力があるので人がやってくる、ということであった。商品でも、店でも、町でも、惹き付ける力マグネット力が必要なのだという論旨であった。

かつて、異業種の集まりで、熊本空港からレンタカーで2時間余りかけて、黒川温泉に出かけたことがある。看板は少なく、緑に囲まれた、20数軒の温泉であった。泊った「山みず木」のご主人に話を聞いた。かつて、やまなみハイウエーが出来たころ、路線から離れ苦労した時代があった。ひとりの頑固な後藤哲也さんが、洞窟風呂という露天風呂をつくり、その旅館は繁盛したらしい。よそから婿入りした若者もいたそうだ。そうした人たちが、後藤さんに教えを受けに行ったらしい。そこで、後藤さんは、独り占めにせず、温泉街全体で盛り上げようととりくんだという。露天風呂をそれぞれの宿につくり、つくれない宿には、他の宿の露天風呂には入れるように、入湯手形を地元の木を輪切りにしたようなものをつくったのが、さらに当たったという。

以前に、本屋でふと眼につき読んだ本がある。光文社新書「黒川温泉 観光講座」後藤哲也さん・松田忠徳さんの対談だ。帯には「勝負は、お客さんが宿の駐車場に着いたとき。そこで感動を与えられるか。」「木を植えろ。雑木を植えろから再生は始まった」という。

2005年10月 1日 (土)

東大寺の大仏さん

奈良・東大寺。なんといっても大仏さんで有名だ。海外の人も、日本の人も、その大きさにともかく圧倒される。奈良時代につくられたのだが、江戸時代に頭の部分と建物・大仏殿が作り直されたという。そのとき大活躍されたのが、公慶上人であり、今年はその300年遠忌とのことだ。江戸時代再建なった、大仏さんを拝もうと、20万人が押し寄せたというと東大寺の坊さんから教えていただいた。なにしろ、泊まる旅籠はたごが不足し、奈良奉行は一般の人もあいている部屋は貸し出せといったという。猿沢池近くの樽井町辺りの宿屋は女中部屋や廊下にまで泊まらせたという。

そのとき、普通の部屋と同じ料金をとったらしい。そのあたりから、「大仏商法」という、努力もしないで大仏さん頼りの、少々あくどい商法、あるいは、すわったままの大仏さんのような奈良の商売と、なったようだとの話であった。それはともかく、今でも時として「奈良の商売人は大仏商法だ」といわれるようでは情けないし、心したいものだ。

ともかくも、門前町にいて忘れがちではあるが、東大寺・大仏さんはすばらしい仏像だ。その大仏さんを再建した、公慶上人はたいへんな存在で、いま奈良があるのもそのおかげだとも、東大寺の坊さんは語られた。その法要が、10月の半ばにはあるとのこと、そして記念した音楽会もあるということであった。

東大寺のhp。http://www.todaiji.or.jp/

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